三河 真弓山城(別名 足助城)
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【城郭の概要】
所在地:豊田市足助町足助字真弓
別 名 :足助城,松山城
築 城 :鎌倉時代
初城主:足助氏
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀切,空掘
城 域 :240m×100m
     標高 301m
      比高 約50m

南の丸からみた本丸
南の丸から見た本丸
交通機関
【現地への案内】
足助中学から林道を約1km
細位置はコチラ 

【駐車場専用駐車場を利用
【訪 城】2001年7月
【撮 影】2001年7月,2008年4月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)

【現地の状況】
 真弓山城のことを別名足助城ともいい、また飯盛山城のことも足助城という人もおり、明確には区別されていないようである。

 足助の地は豊田に抜ける足助街道、串原,明智に通じる美濃街道,下山村を経て鳳来に通じる鳳来寺街道、および伊那街道が通る交通の要衝の地であり、この地をめぐって今川氏,徳川氏、および武田氏による争奪戦が繰り広げられている。

 真弓山の中腹まで来るまで上がれ、中腹の駐車場前には近年建てられた冠木門が出迎えてくれる。
 山城としては良く整備されており、山頂本丸跡には模擬館、物見櫓まで建てられ、中世山城を多くの人に理解するには格好の城である。是非とも多くの人に訪ねていただきたい。
真弓山城の縄張り
真弓山城の縄張り

【城郭の歴史】
 足助城は標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した連郭式の山城である。
 真弓山は足助の町並みを眼下に見下ろす要害の地で、鎌倉時代には足助氏が居城したとされ、大観音寺城,成瀬城,城山城、 成瀬城、黍生城、および臼木城等と共に足助七城(足助七屋敷)の一つと伝えられるが、発掘調査の結果ではこの時代の遺物は発見されず、現在残された遺構は15世紀以降に鈴木氏が築城したものと考えられている。

 なお、足助城は元気2年(1571)武田信玄に攻略され、交通の要衝に位置していることから武田氏の西三河進攻の拠点となり、天正元年(1573)まで武田方の城代が城番した。


真弓山城をもっと紹介

西の丸
西の丸


本丸模擬櫓
本丸の模擬櫓

本丸から堀切を介した南の丸
本丸から堀切を挟んだ南の丸


本丸櫓から見る足助の町並み
本丸櫓から見る足助の町並み

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