三河 浅谷城(あざかいじょう)
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【城郭の概要】
所在地:豊田市山ヶ谷町字鶏足山
別 名 : −
築 城 :文亀2年(1529)
初城主:梁瀬九郎左衛門
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀切,堅堀
城 域 :200m×120m
      標高 420m
      比高 40m

西端の堀切
西端の堀切

【現地への案内】
萬昌院の東約300m
細位置はコチラ 

【駐車場空地を利用
【訪 城】2008年4月
【撮 影】2008年4月


評価項目 評価(三段階評価)
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)

【現地の状況】
 国道153号線から国道420号線へ入り足助城方面に進み、足助城への入口を左手に見ながら林道を直進し、山ヶ谷方面へ約2km走り、4差路を萬昌院方面へ下る。萬昌院を右手に見ながら林道の終点、左手前方。

 浅谷城は東西に延びる尾根の中腹に曲輪を連ねた典型的な山城で、南側を大手としており、萬昌院側は搦手になる。
 林道の終点から竹藪の中に踏み入ると、大きな堀切が目に飛び込んでくる。この堀切を境として南側尾根が城域となる。
 尾根はなだらかであるが、尾根の両側は斜度が厳しく、山城を構えるには格好の地形である。

 最高部の主曲輪を中心として西側(萬昌院側)に3つの曲輪を尾根上に連ね、主曲輪の北尾根に袖曲輪を配しており、尾根南端の曲輪切岸を下った岩場では展望が開け、見張り台として利用されたのではないかと考えられる。

 山城は一般的に2つのタイプに分類できる。ひとつめは高い山の頂上付近に築かれ“逃げ込むための城”もしくは“籠城を想定した城”で、もうひとつは比高がひくい尾根の中腹に築かれ、“街道監視”を目的としたものである。
 この浅谷城は後者に該当し、築かれた当時は浅谷城付近に間道が通っていたのではないかと考えられる。

四差路を右手・萬昌院へ
四差路を右手・萬昌院へ
萬昌院
萬昌院

【城郭の歴史】
 「梁瀬九郎左衛門或太郎法名道悦天正二年為武田落城」と「三河国二葉松」にあり、梁瀬氏が築き、武田氏によって落城したことが窺えるが、詳細は不明。

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西端曲輪の土塁、土塁後方は堀切
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城山八幡宮の石碑
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