長岳寺(天台宗比叡山直末 廣拯山長岳寺)

武田信玄の供養塔
 信玄公は天正元年4月12日三河にて徳川氏と戦い、その帰途野田城攻略中、胸の病気重くなり、軍をまとめ三河より信濃に入り、この地駒場の山中に没す。その時この地を守っていた馬場美濃守と図り、信玄公の死を秘めて身代わりを甲州に送り当山、裕教法印と共に、裏山にて火葬にふし、従運僧北高和尚、自坊に持ち帰えられた。この塔は四百年祭りに火葬塚より灰を移し、供養塔とした。  現地案内板より

 境内には、新田次郎が読んだ 「木枯しや いまはた遠き 信玄公火葬塚(かそうずか)」 の句碑が建てられている。


武田信玄公の供養塔

馬場美濃守の五輪塔
 信玄公の供養塔の横には、馬場美濃守信房の五輪塔が建てられている。


馬場美濃守の五輪塔

【所在地】
長野県下伊那郡阿智村駒場
詳細はコチラ

【訪問日】2004年10月3日
【現地を訪れて】
 武田信玄が駒場で死んだことはあまりにも有名で、「我が死を3年間ふせよ」と云った逸話なども残っている。この駒場に信玄の墓があると知ったときから、是非とも訪ねてみたいと思っていたのだが、なかなかその機会がなく、中央高速道路から「信玄ののろし台」の大きな看板を見る度に思い出すような始末。
 ようやく訪ねてることができたが、案内板には信玄はここ(駒場)で荼毘にふされたと記されていた。さて諏訪湖に沈められたとの言い伝えもあり、どちらが本当か?
 真意のほどは別にして、信玄が駒場で死んだことは紛れもない事実で、供養塔に手を合わせ冥福を祈った。(^^)





武田氏ゆかりの史跡に戻る


 近江の城郭に戻る