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津具金山・信玄鉱

 元亀3年の頃より甲州武田信玄の勢力がこの地にも及びました。信玄は津具川に砂金の産することを知り採掘をしましたが、この山に金鉱脈を発見して、幾つかの坑道を掘りました。この坑道はその一つで総延長は140mほどであり、途中枝分かれしています。採掘された鉱石はこの下の古町で精錬したので、当寺使用した金摺石が今でも残っています。
 武田氏が滅亡した後は、織田信長に続いて徳川家康が採掘したことが古文書に記録されています。
   −現地案内板より−


信玄鉱

 津具城の西約1.5kmの山中にあり、山の麓に信玄鉱の案内板が建てられている。ここから比高差で50mほど登ると、山の斜面に5×5mほどの小さな踊り場があり、1m足らずの小さな坑道が信玄鉱である。坑道内は危険だということで入れないように鉄柵で囲ってある。
 
 訪れた時に運良く、山の持ち主であるS氏に話を聞くことが出来た。S氏によると、昭和30年代まで金の採掘が行われていたそうで、山には7つ〜8つほど坑道があったが、ほとんどは崩れてしまっているとのことである。
 津具金山の鉱脈はここから南北に延びており、その延長線上の南側に大桑の金鉱山があると云い、北に位置する山にも縦穴が掘られているとも云う。また、昭和初期には畳8畳の倍(16畳)ほどの沈殿槽が3つあったが埋め立てられて畑地になってしまったとか。
 なお、この辺りで使われていた臼は、擂鉢の底を浅くしたような形だそうで、湯之奥金山の臼とは少し違う形のようで、見てみたいと思いましたが、現在は伊豆金山にあるとのことでした。たぶん、土肥金山の資料館「黄金館」に展示されているのだと思います。


山中にある信玄鉱

【所在地】 新城市設楽町津具(旧北設楽郡津具村)
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【訪問日】 2005年10月1日

【現地を訪れて】
 現地に行ってみて、信玄鉱が山の山腹にあるのに少々意外な気がした。鉱山知識のない私はもっと低い位置にあるものと勝手に想像していたからです。それにしても、わざわざ作業のし難い高い位置に坑道を掘るには、それなりの理由、つまり金鉱脈があったからでしょうが、当寺の金山衆はどのようにしてその場所を特定したのか、非常に興味を引かれました。

【関連リンク】
   湯之奥金山

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