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大泉寺

武田信虎を祀る (甲府市指定史跡)

 本史跡は室町時代末期戦国の世に活躍した武田信玄の父信虎の墓域である。信虎は武田五郎信縄の長男として明応3年1月6日石和の居館に生まれ幼名を川田五郎と呼ばれた。
 永正4年14歳の時武田氏18代の甲斐国主となり、国内の同族を統御し、永正17年従五位下左京太夫陸奥守に任ぜられた。彼は生来豪勢勇武にして乱世にその領土を広げ武蔵、相模、駿河、信濃と隣国を征し、大いに武威を発揚したが、嗣子晴信(信玄)と意合わず、天文10年48歳の折り、駿河の今川の許に隠退し、僧形となり、号を我済と称して京都方面に流寓、後年信濃高遠城に81歳の高齢をもって病死するまで帰国しなかったと伝えられている。
 その没年は天正2年3月5日という。大泉寺殿雲存康大庵主はその法号である。尚、当寺には彼の肖像画をその子信廉逍遥軒が描き残しているが国重要文化財に指定されている。
現地案内板より

大泉寺総門 (甲府市指定文化財・建造物)

 この総門は永慶寺から移築されたと伝えられている。黄檗宗様式の門として建物細部の諸要素は宇治万福寺の総門に極めて近似している。
 永慶寺は宝永7年(1710)、甲府城主柳沢吉保が建立した菩提寺である。現在の護国神社境内及びその周辺にあったが、享保9年(1724)柳沢氏の大和郡山への転封に伴って移転を余儀なくされた。その際、遠光寺(伊勢一丁目)の山門、禅林院(古府中町)の本堂なども同時に移築されたと云われるが、現存するのはこの総門のみである。
甲府市教育委員会
大泉寺山門
大泉寺山門

武田信虎公墓所 (山梨県指定史跡)

 信虎は武田信縄の子として明応3年(1494)石和館に生まれた。永正4年(1507)武田氏の家督を継ぎ、武力を持って甲斐国内の統一の成功したが、やがて嫡子晴信(信玄)と対立、駿河(静岡県)に追われた、流浪の末、天正2円(1574)信濃国(長野県)伊那で病没し、ここ大泉寺に葬られた、法号を大泉寺殿泰雲存康庵主という。躑躅ヶ崎に館を移し、甲府を創設したことでも知られている。
信虎の墓は、中央の五輪塔(補修の際、上部を相輪状に変えた)がそれである。
山梨県教育委員会  甲府市教育委員会   −現地案内板より−
武田信虎公の廟所
武田信虎公の御霊殿

【所在地】甲府市古府中町1015
詳細はコチラ

【訪問日】2004年8月9日

【現地を訪れて】
 大泉寺の総門が宇治万福寺の総門に似ていると知って、急に大泉寺が近しいものに感じられた。(^^)
それにしても、信虎公の墓が山梨にあったことで、何となく心休まる思いであった。嫡子信玄に国外追放されたとはいえ、信玄の親を思う心がこんなところにも現れていると思った・・・・・・・信玄自身が弔ったものかは分からないが。

 信虎公の墓は小さな五輪塔で、その右に信玄,左に勝頼の宝篋印塔が並んでいるというが、内部の様子はよく分からなかった。
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