丁野山城
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 城郭の概要
所在地:東浅井郡湖北町丁野
別 名 :岡山城
築 城 :永正15年(1518)
初城主:浅井亮政
区 分 :山城
遺 構 :土塁,横堀,竪堀
城 域 :100m×50m
     標高 169m
     比高 70m


 現地への案内
交通機関は車を利用
国道365号線青名信号から県道278号線を東へ約1km
 詳細位置はコチラmapfan

 駐車場
・駐車:谷田神社前に2台

【訪 城】2002年10月,2007年12月
【撮 影】2007年12月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

主曲輪の周囲に巡らされた横堀
主曲輪の周囲に巡らされた横堀

 現地の状況
 近年登城道が整備され、谷田神社の東約200mの地点から中島城,丁野山城へ登ることができ、丁野山城までは10分足らず。

 丁野山城は主曲輪を中心として南側と北側に袖曲輪といった連郭式の曲輪配置で、主曲輪は約30m×25mで曲輪の周囲は横堀を巡らし、南側尾根と北側尾根には堀切を配している。

 北側の曲輪からは北国脇往還道を挟んで小谷山は目前で、小谷城の支城として築城されたことが容易に推定できる。


 城郭の歴史
 丁野山城は永正15年に浅井亮政が小谷城の西、北国脇往還道を挟んだ岡山の山頂付近に築いた城で、天正元年(1573)には浅井長政が岡山の東尾根に中島城を築き、丁野山城の支城とした。

 「朝倉始末記の越州軍記 義景地蔵山へ陣替之事」に丁野山の記述がある。

 元亀四年八月十日ニ、「信長殿大ヅクノ城・丁野ノ城ヲ可被攻」ノ由ゾ聞ヘケル。依之、義景ヤナガセヨリ地蔵山ヘ着陣アリ。其時ノ大ヅクノ番手ノ衆ニハ、小林・斉藤民部丞巳下、纔ニ(わずかに)四、五百計ナリ。
丁野ノ城ノ番手ニハ平泉寺玉泉坊・宝光院以下是五百計ニ過ザリケリ」

 朝倉義景が着陣した地蔵山というのは木之元地蔵(浄信寺)と推定され、丁野山に籠もっていた平泉寺玉泉坊とは福井県勝山市平泉寺の波多野玉泉坊である。

 朝倉始末記の記述から、元亀4年当時、丁野山城には浅井氏を支援する朝倉氏の軍勢が立て籠もっていたことが判るが、朝倉氏の本城である一乗谷城、およびその周辺の城にも横堀は使われておらず、おそらくは天正11年の賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉軍が北国脇往還道(現国道265号線)の監視、押さえのために、小谷山の支尾根の山崎丸福寿丸と共にこの丁野山城を改修したものと考えられる。




観光
浅井歴史民俗資料館(お市の里)
長浜市大依町528
TEL 0749-74-0101

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湖北町水鳥公園
東浅井郡湖北町尾上
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 湖岸約2.5kmを水鳥公園として整備されたもの。野鳥センターや観察小屋、観察路などの設備を利用すれば、誰でも気軽にバード・ウォッチングが楽しめます。 

小谷寺
東浅井郡湖北町伊部
小谷寺
 小谷寺の前身で桃津寺と称されたが、応永33年(1514)小谷城六坊に再建されたときに山王寺と改名され、浅井亮政が祈願所と定め常勝寺と改称し北谷に移築した。その後、浅井氏三代にわたって祈願所となった。
 天正元年(1573)浅井家の滅亡とともに焼失。現在の小谷寺は豊臣秀吉の再建で、かつての寺地から南方400mの所にある。

 山門脇の大きな松の切株は、お市の方が長政と死別した後、柴田勝家(しばたかついえ)に嫁ぐ直前に自ら植えたものという。
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主曲輪の周囲に巡らされた横堀
主曲輪の周囲に巡らされた横堀


北曲輪からみた主曲輪
北曲輪からみた主曲輪
主曲輪からみる北曲輪
主曲輪からみる北曲輪


北曲輪からみる小谷山
曲輪からみる小谷山
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