横山城
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 城郭の概要
所在地:長浜市堀部町
別 名 : −
築 城 :永禄4年(1561)
初城主:浅井賢政(長政)
区 分 :山城
遺 構 :土塁,曲輪跡,竪堀
城 域 :500m×500m
     標高 312m 
     比高200m

戦 い :
元亀元年(1570)
  ○織田信長 VS ●浅井長政・朝倉景建
元亀3年(1572)
  ○織田信長 VS ●浅井長政



 現地への案内

 国道365号線、野一色東の信号から県道19号線を経て
詳細位置はコチラ 

 駐車場
石田地区から登る場合は公民館を利用させて頂くと良いでしょう。
【訪 城】2000年4月
【撮 影】2000年4月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


−滋賀埋文ニュース−
横山城の砦から石飛礫が出土(2004年10月1日のニュースから抜粋転載)

 犬飼坂の峠から北側に登ったところにある曲輪からは、戦国時代に使用したつぶて(飛礫)と考えられる石がまとまった状態で出土しました。出土したつぶては、丸い川原石を利用したもので、大きさはこぶし2個大程で、約50個が見つかりました。この個数は幅1mの調査区内で見つかった数なので、実際にはさらに多く集石されているものと考えられます。

−講演会要旨−
街道を駆け抜けた戦国武将たち 姉川の合戦

横山山頂から東方の眺望
横山山頂から東方の眺望

 現地の状況
 横山城への登り口は石田地区の日吉神社から西尾根を登るコース。石田地区の白玉稲荷神社、若しくは観音寺から南尾根を登るコース。今ひとつは村井田地区から北尾根を上るコースがある。
 北尾根、西尾根の両コースを登った経験からは、石田地区の日吉神社を経て登るのをお薦めします。

 横山城は一城別郭の城であり、横山のピークに北城、最高地から派生する南の尾根筋に南城が築かれている。
 北城は20m×20mほどの山頂を中心に曲輪を配置し、山頂からの眺望は素晴らしく、東には北国脇往還、西には北国街道を見下ろし、近江〜越前間を押さえるには絶好の位置にあることがわかる。
 また、北方に目をやると小谷城のある小谷山、また虎御前山砦のある八相山(虎御前山)とは指呼の距離でその間約3km。

 元亀元年(1570年)姉川の戦いの前哨戦として、織田信長が横山城を包囲したのも、この横山城の戦略的な重要性を感じていたからに他ならない。

 南城は20m×30mの方形の削平地の周囲に土塁を築き、北城とは築城年代に違いが認められる。この年代の違いは、天正11年(1583)賤ヶ岳の戦いの際、羽柴秀吉はこの横山城を第二の防御ラインとして考えていたようで、その時に南城を修築したことで、北城と南城と築城年代に違いが生じたと考えられている。
横山城北城から北方を望む
北城から北方を望む

犬飼坂
堅堀とも見える北尾根の犬飼坂
 城郭の歴史
 横山城の創築年代は不明であるが、当初は京極氏の支城として築かれ、永正14(1517)に浅井亮政により落城、翌年には浅井氏を攻撃するのために六角定頼が修築したとされる。
 永禄3年(1560)浅井賢政(後の長政)は六角義賢と野良田(彦根市野良田)で戦い、これに勝ち六角氏から独立する。さらには永禄4年の佐和山城の戦でも六角氏を破り、南進の要として横山城を築き、浅井越中守井演らを城将とした。

 その後、浅井長政は信長の妹・お市の方を娶り、織田信長と同盟を結ぶも、元亀元年(1570)4月20日信長が越前の疋壇城手筒山城、および金ヶ崎城など朝倉攻めを開始すると、信長との同盟関係を破棄し、朝倉氏との繋がりを選択する。
 元亀元年(1570)6月20日、岐阜を出発した信長は中山道沿いの長比城、および北国脇往還道沿いの刈安尾城を落とし、竜ヶ鼻に本陣を構えた信長は、3万4千人の大軍をもって、大野木土佐守秀俊を城将とし三田村左衛門太夫国定、野村肥後守直元等が守備する横山城を取り囲んだ。

 横山城からの連絡を受けた浅井長政は朝倉景健と共に小谷城を出て、横山城を取り囲む信長・徳川連合軍を牽制する形で大依山に陣を構えた。
6月28日未明、浅井・朝倉軍は更に兵を進めて姉川を挟んで、織田・徳川連合軍と戦いに及ぶ、これが世にいう姉川の戦いである。
 午前5時頃から7時間にもおよぶ戦いの末、浅井・朝倉軍は総崩れとなり小谷城に向けて敗走。信長はすぐには小谷城を攻撃せず、まず横山城を攻め落とし、羽柴秀吉を城番として入れた。以後、横山城は小谷城に対する最前線基地として機能し、天正元年(1573)に小谷城を落とすまで重要な役割を果たす。
 小谷城落城後は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いに際し、羽柴秀吉によって改修され、長浜城と共に後方基地として利用されるが、賤ヶ岳の戦い以後は廃城となる。




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石田屋敷
 石田屋敷は石田三成の出生の地とされている。
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観音寺
米原市朝日
入場料 無料

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 羽柴秀吉が湖北三郡12万石を領し、長浜城主となった後、鷹狩りで観音寺に立ち寄った際、寺の小僧をしていた石田三成が、お茶が飲みやすいようにと冷まし具合を変えて出したと謂われがある。
 境内にはその時の水を汲んだという井戸もある。

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三田村屋敷
長浜市三田町
三田村屋敷
 浅井氏の家臣として、野村氏と共に横山城の守将を勤めていた三田村左衛門太夫国定の屋敷

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