山崎丸
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 城郭の概要
所在地:東浅井郡湖北町伊部
別 名 : −
築 城 :山崎吉家
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :土塁,空堀,竪堀
城 域 : −


 現地への案内

 国道365号線(北国街道)湖北町
詳細位置はコチラ 

 駐車場
清水神社前に5〜6台
【訪 城】1999年5月
【撮 影】1999年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

山崎丸の石碑
山崎丸の石碑

 現地の状況
 山崎丸は大嶽城から西に派生する尾根上に築城されており、元亀3年(1572)織田信長の小谷城攻めに際し、越前から来援した朝倉氏によって大嶽城,月所丸、および福寿丸と共に築かれたものとされている。
 山崎丸は福寿丸と共に小谷城の支城的な位置づけにあり、名前の由来は朝倉氏の家臣・山崎吉家が砦を造ったところからつけられたとされている。

 清水神社の鳥居前に車を置いて、アスファルトの道を5分も登ると水道タンクに出る。ここからは山道に入り、山崎丸までは約15分。更に200〜300m登ると福寿丸に出る。

 曲輪は南北約50m、東西約25mの方形で、尾根を最大限に利用する形で造られており、この曲輪の横を通らなければ、ここから先へは上れないようになっている。また東側斜面には福寿丸と同様に竪堀が設けられ、迂回する敵への配慮がなされている
この竪堀は福寿丸の竪堀同様、曲輪内の他の遺構と比べると年代的に古いように見受けられた。
枡形虎口
枡形虎口

 城郭の歴史
 山崎丸と福寿丸の城郭遺構のうち、土塁で形成された枡形虎口、および虎口に付随する空堀は浅井氏の小谷城や朝倉氏の一乗谷城では見ることのないものである。
これは山崎丸と福寿丸が元亀4年(1573)浅井氏が滅んだ後に改修された可能性が高い。


 中井均氏(米原市教育委員会)は羽柴秀吉が柴田勝家との賤ヶ岳の戦いに備え、余呉と織田信孝の居城・岐阜城を最短距離で繋ぐ北国脇往還道(現国道365号線)を押さえるために、福寿丸,山崎丸を修築した可能性があるとしている。

小谷城の隠れた遺構




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