近江 打下城
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 城郭の概要
所在地:高島市勝野
別 名 : −
築 城 :永正2年(1505)
初城主:高島玄蕃允
区 分 :山城
遺 構 :石垣,空堀,竪堀
城 域 :250m×250m
     標高 420m

 現地への案内


詳細位置はコチラ 

 駐車場
日吉神社前に駐車
JR湖西線、近江高島駅から約500m


【訪 城】
2001年10月
【撮 影】2001年10月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


打下城虎口部の石積み
打下城虎口部の石積み

 現地の状況
 打下城は近江と越前を結ぶ北国街道(西近江路)沿いの標高379mの通称城山の山頂一帯に築城されている。

 打下城へは日吉神社横から延びる山道を登る。しばらく登ると防砂ダムに出て、道は行き止まりとなるが、ダムの左手に高巻きするような形で山道が付けられている。
  急な斜面ではあるが道はしっかりと整備されており、標識も随所にあって迷うことはない。約30〜40分で尾根筋に出る。
 打下城の城域は、大きくは中郭、南郭部と北郭部の2つの城域に分かれており、尾根筋を左手に道をとると中郭、南郭に、また右に道をとると北郭に至る。

 中郭の周囲は東の急斜面を除き、幅5〜6mの横堀を巡らしている。また、南側虎口横には4〜5m四方の櫓台があり、石積みがされている。

 この城の見所のひとつと考えていた北郭の畝状竪堀を捜して尾根を歩き回るも、北郭を特定できず、後ろ髪を引かれる思いで下山。多分、高圧線鉄塔の建つ"下の鼻打"辺りではないかと考えられるが・・・・・。
打下城の縄張り
打下城の縄張り

 城郭の歴史
 打下城は永正2年(1505)に高島玄蕃允(げんばのじょう)が築城したのを創築とし、その後、海津政義の居城になったとされる。
 元亀年間(1570〜72)には、江北の浅井氏か越前の朝倉氏によって改修されたと考えられている。

 また、元亀年間後期には林与次左衛門の城となり、天正元年7月26日高島の木戸城,田中城を攻めた織田信長が逗留したと伝わる。

----------------------------以下、信長公記 元亀4年の条
大船にて高島へ御働き、木戸・田中両城攻めらるゝ事

 七月廿六日、信長公御下り。直ちに江州高島表、彼の大船を以て御参陣。陸は御敵城、木戸・田中両城へ取り懸け、攻められ、海手は大船を推し付け、信長公御馬廻を以て、せめさせらるべきところ、降参申し、罷り退く。則ち、木戸・田中両城、明智十兵衛に下さる。
 高島の浅井下野・同備前、彼等進退の知行所へ、御馬を寄せられ、林与次左衛門所に至って御居陣なさる。当表、悉く御放火。
----------------------------ココマデ


堀切
堀切

中主郭背後の横堀
中主郭背後の横堀
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