近江 田屋城
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 城郭の概要
所在地:高島市マキノ町森西稲山
別 名 :下の城
築 城 :応氷年間(1394〜1472)
初城主:清原蓮廉
区 分 :山城
遺 構 :土塁,竪堀,枡形虎口
城域 :300m×100m
     標高 約150m

 現地への案内

国道161号線沢の信号から西へ2km、極楽寺が目印
詳細位置はコチラ 

 駐車場
空地を利用

【訪 城】2003年6月
【撮 影】2003年6月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



土塁と虎口
土塁と虎口

 現地の状況
 森西地区からハイキングコースを登る。ハイキングコースの入口には猿,猪あるいは鹿除けの電線が巡らされており、とまどうが外せるようになっている。
案内板には田屋城まで40分の表示があるが、約20分で口の丸に着く。

 広い城域に大きくは5つの曲輪が配置され、それぞれの曲輪には分厚い土塁が巡らされている。口の丸南には10m四方の出曲輪が設けられ、この曲輪を中心に急な斜面には深さ2m、長さ30〜40mの強烈な竪堀が掘られている。また、口の丸東の曲輪土塁は折れが入り横矢掛けが意識されている。

 極め付きは奥の丸の食い違い虎口で、これら遺構から織豊系城郭の特徴が読みとれる。こうした遺構以外にも南斜面、あるいは西斜面に何本もの竪堀が見られるが、口の丸出曲輪横のものとは規模が異なり、この城が元亀・天正期に改修を受けたのではないかと推定される。

口ノ丸曲輪
口ノ丸曲輪


 城郭の歴史
 応氷年間(1394〜1472)清原蓮廉より、天正年間(1573〜90)田屋山城守吉頼朝臣に至る城と伝えられており、沢城(マキノ町)の詰めの城とも云われている。
 現地には、奥の丸,北の丸,搦手,駒返し等の地名が残る。
奥琵琶湖を遠望
奥琵琶湖を遠望

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