近江 多和田城
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 城郭の概要
所在地:米原市多和田
     (旧坂田郡近江町多和田)
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :石垣,堅堀
城 域 :約300m×50m
      標高 315m
      比高 約200m

 現地への案内

国道8号線樋口信号から県道246号線多和田地区、大宝神社
詳細位置はコチラ 

 駐車場
・駐車:登り口に2〜3台の空地あり

【訪 城】2001年9月,2008年4月
【撮 影】2008年4月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

環状列石群
環状列石群

 現地の状況
 多和田城は我が国でも有数といわれる環状列石群があり、この環状列石群に関しては明治40年台から報告が見られ、その後多くの人が神籠石,朝鮮式山城,高地性集落遺跡あるいは石造の山城跡と見解を示されているが、結論は出ていない。

 多和田地区の大宝神社背後から兜黛山(かぶとやま)ハイキングコースを登ると約15分で社の建てられている曲輪に出る。案内板に沿って更に10分ほど登ると環状列石群に至る。
 多和田城には2001年にも登っており今回で2度目であるが、個人的にはれっきとした山城であると信じている。

 環状列石群が山城遺構かどうかはさておき、今回は落葉期ということもあって環状列石群の東側斜面に少なくとも6つの曲輪が階段状に設けられていることを確認した。
 また、環状列石群の南側の谷を挟んだ小ピークにも列石と共に幾つかの曲輪があり、南側斜面には4条の堅堀が配されている。

 環状列石群がいつの時代につくられたかは定かではないが、この環状列石群を再利用する形で戦国期に山城として機能していたと考えられる。
 木々の間からJR醒ヶ井駅の横を通る中山道と共に近隣の山城(太尾山城地頭山城顔戸山城)を見通すことができ、戦国期に山城として使われていたことは間違いないと確信を深めた。

環状列石の概略図
環状列石の概略図

多和田城からみる湖北の諸城
多和田城からみる湖北の諸城

多和田城からみる顔戸山城
多和田城からみる顔戸山城
多和田城からみる醒ヶ井駅と中山道
多和田城からみる醒ヶ井駅と中山道

 城郭の歴史
 多和田城の詳細は不明ですが、 以下環状列石についての私見。

 天智天皇は実弟の大海人皇子(後の天武天皇)と皇嗣問題で不仲であったといい、 天智天皇の死後、壬申の乱(672)が起こり、大海人皇子は2日で近江の国の要路、鈴鹿と不破の関を押さえたとされている。
 天智天皇が東国を基盤とする大海人皇子への備えとして築いたのがこの多和田城ではなかったか。


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環状列石の巨石群
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環状列石の石積み
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神籠石の石碑
神籠石の石碑

環状列石東斜面の曲輪
環状列石東斜面の曲輪の削平状態


環状列石と谷を挟んだ小ピークの曲輪
環状列石と谷を挟んだ小ピークの曲輪


小ピーク南斜面の堅堀
小ピーク南斜面の堅堀
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