近江 田中城(別名 上寺城)
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 城郭の概要
所在地:高島市安曇川町田中
別 名 :上寺城
築 城 :鎌倉時代後期
初城主:佐々木田中氏綱
区 分 :山城
遺 構 :堀切,土塁,竪堀
城 域 :400m×300m
     標高 220m
   比高 60m

 現地への案内

県道297号線(県道安曇川高島線)上寺
JR湖西線、新旭駅から約3km

詳細位置はコチラ 

 駐車場
上寺バス停横に駐車

【訪 城】
2003年6月
【撮 影】2003年6月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



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お奨め度






虎口と櫓台
虎口と櫓台

 現地の状況
 田中城は比叡山から北に続く比良山系の標高が低くなり、山塊の東を通る西近江街道と西を通る朽木街道(鯖街道)を押さえることの出来る立地を生かして築城されている。

 上寺地区の案内板に沿って山中にはいると、2〜3分で麓の屋敷跡に着く。ここからハイキングコースを外れて支尾根を登る。切岸高さ2〜3mの階段状小曲輪を幾つか経て、10分ほどで広い主尾根上に配置された曲輪群に出る。

 これら曲輪の削平状態は支尾根の小曲輪よりも遙かに良く、長期間にわたって利用されていたことが伺える。
 どの曲輪も申し合わせたように土塁を巡らしている上、とりとめもなく配置されているため、磁石無しで歩き回ると方角が分からなくなりそうなほどの数である。

 曲輪群の西端には土塁によって形成された2つの平虎口がある。この2つの虎口の中央に置かれた櫓台は、両虎口を睨み、防御の要となっている。
広い城域にあって、防御的な意図を唯一感じるのがこの櫓台で、現在残されている遺構からは、屋敷跡、若しくは兵站基地として使われたのではないかと感じた。

 曲輪群から堀切を経て観音堂が建つ山岳寺院・松蓋寺跡(廃寺となっている)に出る。松蓋寺跡背後の尾根は西側斜面が急激に渓谷に落ち込み、地形的にもこの松蓋寺跡辺りからが城郭ではないか。

 尾根上曲輪の削平は不完全ながらも西側には土塁を築き、西側に向いての防御が意識されているのが伺える。また、主曲輪西側にも堅堀状の堀と、土塁が巡らされているのが非常に興味深い。
主曲輪東側は木々が切り払われ、琵琶湖の眺望が極めて良い。

田中城の縄張り図
田中城の縄張り

 城郭の歴史
 田中城は田中郷の領主・田中氏の居城で、泰山寺野台地から舌状にのびる支丘の先端に築かれ、現在も上寺区西側の山間部にその遺構を残している。

 主曲輪の標高は220m、平地との比高差はわずか60mで、戦国期の山城と比べても低い位置に築かれているが、城域の要所要所には堀切,土塁,武者隠しなどを配している。

 田中氏が城を築く以前、この地には古代の山岳寺院・松蓋寺が建てられており、廃寺跡に田中氏が城郭を構えたものと考えられている。

 「信長公記」によると、元亀元年(1570)4月、織田信長の軍勢が越前の朝倉義景攻略の途次、この田中城に逗留したことが伝えられている。

 その後、浅井長政の勢力下におかれた田中城は元亀4年(1573)に信長の手によって攻略され、明智光秀の支配を受けて終焉を迎えるが、田中氏の流れをくむ田中吉政は、秀吉,家康に仕え、三河国岡崎城城主,筑後国柳川城の城主として城下町の建設・整備に手腕を発揮したことでも知られている。



屋敷跡の土塁
屋敷跡の土塁

山中の堀切
山中の堀切
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