近江 田上山砦(田上山城)
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 城郭の概要
所在地:伊香郡木之本町
別 名 :木之本城
築 城 :天正11年(1583)
初城主:羽柴秀長
区 分 :山城(砦)
遺 構 :虎口,竪堀,馬出
城 域 : −

 現地への案内
交通機関
国道365号線(北国街道)木之本

詳細位置はコチラ 

 駐車場
登り口に2〜3台

【訪 城】2000年7月
【撮 影】2000年7月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

観光
北国街道木之本宿
 現在でも宿場町の家並みが残されている。

お薦めの書籍
お勧め度



虎口と土橋
虎口と土橋

 現地の状況
 田上山砦は、田上山(標高323m)の山頂付近に築かれ、天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いに際し、秀吉の弟羽柴秀長が陣を構えた所である。

 比高200mほどの山頂からは北国街道を眼下に押さえ、秀吉軍の諸将が布陣する中でも最も南方に位置し、後方に布陣する秀吉の本陣・木之本地蔵(浄信寺)をも守備する役目も担っている。

 北国街道木之本宿の町並みの東、山手にある伊香高校前から田上山の中腹まで林道が延びており、林道終点には2〜3台の駐車スペースがある、ここから15分ほど山道を登ると山頂の主曲輪に着く。

 砦は主曲輪を中心として、Y字型の尾根に曲輪が配置されている。登ってきた南側斜面には防御施設はないが、柴田軍と対峙している東側尾根の曲輪と本丸跡の間には竪堀を穿ち、曲輪の東には虎口を備え、虎口前面には角馬出が設けられている。
また、西側尾根の曲輪の先には、土塁による虎口と竪堀の見られる。

 現在でも木々の間から、賤ヶ岳,堂木山、明神山,行市山などが一望でき、賤ヶ岳の戦いの特徴として、山岳戦でありながらほとんどの砦から敵味方の状況が観察できるのが非常に面白い。


馬出曲輪と土塁
馬出曲輪と土塁

 城郭の歴史
 田上山砦は、天正11年(1583)4月羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いに際し、秀吉の弟羽柴秀長が構築し、1万5千人の兵を率いてこの地に布陣した。

 越前から江越国境を越え北国街道を南下しようとする柴田軍に対し、北国街道の隘路である余呉で食い止めようとする秀吉軍にとって、北国街道沿いの東野山砦堂木山砦神明山砦が第一防御ライン、岩崎山砦大岩山砦を第二防御ラインし、田上山砦は賤ヶ岳砦と共に最終防御ラインとなる。

 また、田上山砦は木之本から柴田勝家と同盟結ぶ信長の三男信孝の居城・岐阜城に至る北国脇往還道、および長浜城に続く北国街道を押さえる位置にある。

 佐久間盛政の大岩山砦の襲撃に端を発した賤ヶ岳の戦いは、秀吉の“大垣大返し”と柴田軍の前田利家・利長父子の寝返りによって秀吉軍の勝利に終わった。
賤ヶ岳の戦いが終わると同時に、田上山砦は陣城としての役目を終え、人々の記憶から忘れらた。

田上山砦の堅堀
田上山砦の堅堀

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