賤ヶ岳砦
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 城郭の概要
所在地:木之本町大音
別 名 : −
築 城 :天正11年(1583)
初城主:羽柴秀吉
区 分 :平城
遺 構 :土塁,削平地,竪堀,堀切
城 域 : −
戦 い :天正11年(1583)
  ○羽柴秀吉 VS  ●柴田勝家


 現地への案内

国道8号線木之本
詳細位置はコチラ 

賤ヶ岳リフト
営業期間:4月上旬〜11月下旬
料金:大人 高道400円


 駐車場
リフト乗り場の駐車場に20台〜

【訪 城】1999年5月
【撮 影】1999年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

賤ヶ岳砦
賤ヶ岳砦

 現地の状況
 賤ヶ岳の合戦の代名詞となっている賤ヶ岳、山頂近くまでリフトで登れるため、訪れる人は多い。(徒歩でも約1時間、底の厚い運動靴程度のもで可)

 天正11年(1583)賤ヶ岳の戦い当時、この砦には桑山重晴,羽田正親,浅野与兵衛らが布陣していた。山頂を中心として土塁や曲輪などの遺構が明瞭に残っているが、山頂付近は訪れる人が多いため、土塁などは踏みつけられ、ほとんど原形を止めていないところが多い。

 山頂からの眺めは素晴らしく、案内板に描かれた合戦当時の柴田勝家軍と羽柴秀吉軍の配置をみながら戦国時代にタイムスリップできる。

賤ヶ岳の戦いの碑
賤ヶ岳の戦いの碑
 城郭の歴史
 天正11年(1583)4月20日未明、柴田勝家軍の佐久間盛政が行市山山頂の行市山砦から降りて、集福寺坂〜文室山〜権現坂を経て、賤ヶ岳砦の北側を迂回して中川清秀が立て篭もる大岩山砦を急襲。

 大岩山砦を奪取した佐久間盛政に対し、岐阜城の織田信孝を攻めるため大垣まで軍を進めていた羽柴秀吉は夜半のうちに木之本に戻り(大垣大返し)翌朝には大岩山砦の佐久間盛政を攻撃。

 不意をつかれた、佐久間盛政軍は撤退を決意するが時遅く、賤ヶ岳周辺において柴田軍と羽柴軍の戦いが繰り広げられたが、柴田軍の前田利家が裏切りもあり、実際は撤退する柴田軍を羽柴軍が追撃するといった戦いだったとされる。

 この賤ヶ岳の戦いで敗れた柴田勝家は越前北之庄城で、お市と共に自害して果て、羽柴秀吉は天下取りに向けて大きく踏み出した。



賤ヶ岳の戦いにおける柴田軍と羽柴軍の布陣

レポート "賤ヶ岳の軍道(玄蕃尾城〜行市山砦)を歩く"

レポート "再び、玄蕃尾〜行市山の軍道を歩く" 






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