近江 神明山砦
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 城郭の概要
所在地:伊香郡余呉町文室
別 名 : −
築 城 :天正11年(1583)
初城主:蜂須賀正勝
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀,土橋
城 域 :200m×50m
     標高 
     比高


 現地への案内

 国道365号、余呉町役場を西入る火葬場の背後
詳細位置はコチラ 

 駐車場
火葬場前の空地を利用

【訪 城】2000年6月18日,2008年
【撮 影】2008年
評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


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お勧め度







一の曲輪と櫓台
一の曲輪と櫓台

 現地の状況
 神明山砦は堂木山砦から南西に延びる尾根を約20分ほど登った所にある。
登城道は、堂木山砦から尾根を辿るか、若しくは余呉町火葬場の100mほど西から登山道が延び、この道を10分ほど登ると、堂木山砦と神明山砦の中間に位置する鞍部に出て、更に尾根を10分ほど登る。

 神明山砦は前衛の曲輪群と中核部の曲輪群と2つに分かれており、その間は約100m。前衛の曲輪は50m×30mほどの尾根を削平した簡単な造りで堂木山砦方面の見張り台的な位置づけのようである。
 中核部は大きくは二の曲輪群と一の曲輪に分けられ、二の曲輪群は比高差を利用して階段状に曲輪を連ねた切岸防御を主体とし、一の曲輪は平坦な尾根上に60m×30mの曲輪中央部に土塁を伴った櫓台を配している。
また、一の曲輪背後には2条の堀切を入れ、堀切間の10m×10mの三の曲輪を後方の備えとしている。

 狭い尾根を一杯に使って築かれているが、全体的には堂木山砦と比較すると手狭な感は否めない。いずれの砦も秀吉方の最前線に位置しているが、主力の堂木山砦の後方を固める、あるいは堂木山が落ちた時の備えとして築かれたと考えるのが妥当ではないか。
主曲輪背後の堀切
主曲輪背後の堀切

 城郭の歴史
 天正11年2月28日(太陽暦では3月21日)、北庄城の柴田勝家は雪解けを待ちきれず、前田利長を先鋒として江北に向けて出陣させ、3月3日には佐久間盛政,前田利家を、3月9日には勝家自ら諸将率い、除雪をしながら北之庄を発進した。

 勝家軍が越前を発進するのに先んずること約2ヶ月、天正10年(1582)12月下旬、秀吉は美濃・岐阜城攻めの帰路に柳ケ瀬付近を巡視し、翌年1月には柴田勝豊の部下である大金籐八郎と山路正国に天神山に砦を築かせていた。

 北国街道を南下し、江北に着陣した柴田軍が行市山を中心とした山麓に展開して砦を築くと、羽柴軍の天神山砦は標高も低く、羽柴軍の他の砦からも突出した形となり、秀吉は天神山砦を捨て木村隼人等に堂木山砦、蜂須賀正勝に神明山砦を築かせて防御ラインとした。
階段状に曲輪を連ねた二の曲輪群
階段状に曲輪を連ねた二の曲輪群
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