近江 島川城
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 城郭の概要
所在地:愛荘町島川
別 名 : −
築 城 :明応5年(1496)
初城主:伊庭貞隆
区 分 :平城
遺 構 :土塁
城 域 :北城 50m×100m
      南城 50m×50m

 現地への案内
交通機関
国道8号線長野の信号を東入る、県道28号線を1km

詳細位置はコチラ 

 駐車場
空地を利用

【訪 城】1999年6月
【撮 影】1999年6月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



秦荘西小学校のグランドに建つ石碑
秦荘西小学校のグランドに建つ石碑

 現地の状況
 島川城は。宇曾川とその支流である淵川の合流点に築かれた城で、100mばかり隔てて南北2ヶ所の曲輪より成り立っていたといわれている。
 現在、北城は一部を残して民家が建ち、南城は秦荘町秦荘西小学校となっている。

 城郭の歴史
 明応4年(1495)美濃土岐氏に継嗣争いが起こり、土岐元頼と石丸利光が観音寺城の六角定頼に支援を求め、一方、政房を奉じた斎藤利国は京極高清に支援を求めた。
このため、近江国内においても六角氏と京極氏の争いが激化した。

 明応5年(1496)、六角氏家臣の伊庭城主・伊庭出羽守貞隆は愛知郡愛荘町に進出し、島川城を築いた。
 島川城は、織田信長は近江に進攻した元亀年間(1570〜73)頃には、廃城となった。

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