近江 音羽城
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 城郭の概要
所在地:蒲生郡日野町音羽
別名 :  −
築城 :応仁・文明年間(1467〜87)
初城主:蒲生貞秀
区分 :平山城
遺構 :本丸,二の丸,南丸,帯郭,
     土塁,堀,門跡
城域 :300m×400m
     標高 285m
     比高 40m

蒲生氏の紋

対い鶴
戦 い :
明応5年(1496)
  ○六角氏,蒲生氏
     VS
  ●斉藤利国,京極氏)
文亀3年(1503)
  ○六角高頼,蒲生氏
     VS
  ●伊庭貞隆
大永2年(1522)
  ○蒲生高郷,佐々木定頼
     VS
  ●蒲生秀紀


 現地への案内
交通機関は車を利用
国道307号線〜国道477号線・音羽地区
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 駐車場
公園入口に3〜4台
【訪 城】2002年10月,2007年5月
【撮 影】2002年10月,2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★★
縄張り ★★★
普請 ★★★
体力消耗度 ☆☆
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り






谷筋を見下ろす位置に設けられた曲輪と土塁
本丸周囲の空堀

 現地の状況
 音羽城は日野川を堀に見立て、背後には宝殿ケ岳を控え、前面の急峻な崖状地形を利用して築かれている。
現在では、城址全体が公園として整備され、車で本丸址まで登ることが出来る。

 西側を大手、南側を搦手とし、大手道方面を除き、本丸の周囲を空堀で囲む縄張りとなっている。
 本丸南側の空掘は幅7〜8mほどもあり、自然の谷に手を加えた二重の空堀とし、西側にも深さ6〜7mの空堀が東西と南北に1本ずつ配されてまさに圧巻。
 また、自然谷を利用した堀には、土塁や、畝堀等の工夫が施されている。全体として、遺構は非常に良く残されており、中世の土塁の城郭として見るべきものは多い。

本丸周囲の空堀
谷筋を見下ろす位置に設けられた曲輪と土塁

 城郭の歴史
 音羽城の築城年代には諸説があり、蒲生旧址考によれば、応永22年(1415)に下野守秀綱が築城とあり、同書の蒲生系図によると建久年間(1190〜1192)に築かれたともある。

 文亀2年(1502)10月、近江守護職・六角高頼は家臣・伊庭貞隆の勢力拡大に危機感を覚え、排除に動いた。
 高頼は一時勝利するが、管領細川政元の支援を得た伊庭貞隆によって青地城馬淵城永原城を落とされ、高頼は居城・観音寺城を捨て蒲生貞秀の音羽城に落ち延び、伊庭貞隆は援軍細川政元の家臣赤沢朝経と共に音羽城を包囲したが、落とすことができなかった。

 この籠城戦での糧水が乏しいのを体験した蒲生貞秀は、翌年中野城を築き、ここ居城とし音羽城を支城とした。

 蒲生貞秀は老後家督を長子秀行に譲ったが、秀行は父に先立ち死去した。その子秀紀はまだ幼かったために秀行の弟・高郷は秀紀に代わって宗家を継ごうとしたが貞秀はこれを許さなかった。

 貞秀の死後、高郷は所領配分の少ないのを不服として大永2年(1522)六角定頼の援けを得て秀紀の音羽城を攻めた。8ヶ月に及ぶ籠城の後、秀紀は降伏し、定頼の調停で両家分立とした。
 この時に音羽城は破却され、秀紀は鎌掛城を高郷は中野城を居城とした。

本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀
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