近江 大塚城
HOME東近江の城郭
 城郭の概要
所在地:東近江市大塚町
別 名 : −
築 城 :大塚氏
区 分 :平城 
遺 構 :堀,土塁
面 積 :200m×100mか

現地への案内
交通機関は車を利用
県道41号線、田井町の信号を北東に入る
近江鉄道朝日大塚駅下車すぐ

詳細位置はコチラ 

駐車は空地を利用

撮影:2002年9月,2008年9月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

大塚城の内堀

 現地の状況
 大塚城は近江鉄道・朝日大塚駅の北側一帯で、字城屋敷といった小字名が残る

 現地には幅3〜4m、長さ30m〜40mほどの水堀が残っているが、近江鉄道が大塚城を東西に分断する形で走っている。
 城内には石碑が建てられ「内堀」であると記されている。内堀に沿った土塁、あるいは曲輪なども周囲を水田に囲まれながらも比較的状態良く残されている。

 現地の石碑には、大塚城の位置と共に丹後屋敷跡,徳本屋敷跡,大塚城主因幡屋敷跡,民部屋敷跡,金花院跡,堀兵衛屋敷跡,水晶工房光り屋敷跡等のあった方向が示されている。
 これら石碑は近くにお住まいの大塚氏の末裔・大塚氏によって建てられたもので、大塚城主因幡屋敷跡(大塚城の北)は2mほどの切岸が屋敷地であったことを窺わせる。

 以前は大塚城周囲に外堀もあったというが、圃場整備によって現在はその痕跡すら残されていない。

 滋賀県中世城郭分布調査報告書には、「圃場整備以前には、小字城屋敷を中心に堀と土塁が数ヵ所に存在していた。
 文化2(1805)年の「城屋敷絵図」に「御本城」とみえる場所には、三方に重厚な土塁と堀が存在し、北西の部分を「馬場の堀」と呼んでいた」とある。


大塚城主の因幡屋敷跡

 城郭の歴史
 大塚氏は仁治3年(1242)に観音寺城主・六角氏に属し、大塚の地に屋敷を構えた。
 永禄6年(1563)観音寺騒動の後は甲賀・和田城主の和田氏の娘を娶り、この時から日野城主・蒲生定秀に仕えた。

 永正5年(1508)に前将軍足利義稙を擁立する大内義興が上洛の軍を起こした際、第11代将軍足利義澄は近江に逃れた。この時に大塚城を改修すると共に規模を広げたとされる。

 天正12年(1584)蒲生氏郷が奥州に転封された際、蒲生氏と共に奥州に移り住み、大塚城は廃城となった。
 
HOME東近江の城郭


近江の城郭