近江 大溝城
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 城郭の概要
所在地:高島市高島町勝野
別 名 :高島城
築 城 :天正6年(1578)
初城主:織田信澄
区 分 :平城
遺 構 :本丸・総門・武家屋敷(郭内)町人街
城 域 :600m×1000m
     標高 86m
市指定史跡


主な歴代城主の家紋
織田氏の紋 京極氏の紋
木瓜
木瓜
四つ目結い
四つ目結


 現地への案内
交通機関は車を利用
JR高島駅の東、約300m
 詳細位置はコチラ mapfan

 駐車場
高島総合病院の駐車場を利用
【訪 城】2000年11月
【撮 影】2000年11月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

お薦めの書籍
お勧め度


本丸天守台の石垣
本丸天守台の石垣

 現地の状況
 JR近江高島駅前の公立高島総合病院の裏が、大溝城本丸跡である。大溝城前に広がる乙女ガ池は当時大溝城の周りを取り巻き、外堀の役目を果たしていたといわれている。なんとも雄大な外堀である。

 大溝城本丸の石垣は、沖の島から筏に乗せて運ばせたと伝えられていように、大きさを揃えた石を積み上げて造られている。

 三の丸跡を示す石碑は病院から国道161号線出る信号手前の道路際に立っている。その他、武家屋敷や港の遺構など、町のあちこちに残されている史跡巡りも良い。


本丸跡
本丸跡

 城郭の歴史
 織田信長が安土に壮大な安土城を築いた頃、対岸の高島の地に大溝城が築かれた。この城は琵琶湖とその内湖を巧みに取り込んで築いた水城で、明智光秀の縄張りと伝承されている。

 その頃、高島郡一円を委ねられていた新庄城主磯野員昌が信長に背いて突然出奔したため、信長は天正6年(1578)2月3日その跡地を甥(弟信行の長男)の織田信澄に宛い大溝城主とした。

 城主になった信澄は高島郡の開発・発展に尽力すると共に、信長の側近として、また織田軍の遊撃軍団の一つとして活躍した。
 ところが、天正10年6月2日、明智光秀が本能寺に謀反を起こすと、光秀の娘を妻としている信澄に嫌疑がかかった。
 信澄の蜂起を恐れた織田信孝(信長の三男)は丹羽長秀と謀って、6月5日、たまたま四国遠征途上にあった信澄を大阪城内の二の丸千貫櫓に攻め込んだため、信澄は自害して果てた。
現地案内板より

織田信澄が自害したとされる大阪城千貫櫓

 昭和58年(1983)高島町教育委員会が行った発掘調査で、本丸跡から安土城の軒丸瓦,軒平瓦、および丸瓦と同氾の瓦が出土したことで、大溝城が織田一門の城であることが確認されている。

 織田信孝が大溝城築城の際に新旭町新庄から大善寺の別院を新城下に移築したことから、平成11年(1999)6月、信澄の慰霊碑が大善寺境内に建立され、6月5日に信澄忌として法要が営まれている。

大溝城の外堀とされた乙女ガ池
大溝城の外堀とされた乙女ガ池



観光
ガリバー青少年旅行村
高島市鹿ケ瀬987-1
ガリバー青少年旅行村
 ガリバー青少年旅行村は夢と冒険心をかりたてる「おとぎの国」、シーズンを通して様々なイベントや自然体験が楽しめます。
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鵜川四十八体石仏群
高島市鵜川

鵜川の石仏
 室町時代後期に観音寺城(現安土町)城主の佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うため、観音寺から見てちようど対岸にあたる鵜川に建立したものです。
現在、鵜川に33躰が、大津市坂本の慈眼堂に13躰が、それぞれ安置されており、残り2躰は行方知れずになっています。


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