近江 高野城
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 城郭の概要
所在地:東近江市永源寺高野町
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平城
遺 構 :石垣
城 域 :約80m×50m

 現地への案内

国道421号線、紅葉橋を渡りすぐに左折
詳細位置はコチラ 

 駐車場
・駐車:空地に駐車

【訪 城】2007年6月
【撮 影】2007年6月
評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

高野城石垣の全貌
石垣の全貌

 現地の状況
 高野城は、愛知川を遡上する八風街道が左岸から右岸に道を変えた愛知川の河岸段丘上に築かれている。

 この高野城は平成14年(2002)に団体営圃場整備に伴う耕地整理の際、滋賀県安土城郭調査研究所が調査をおこない、遺物や石垣の構築手法から織豊期に築かれた高野城の遺構の一画であると判断されたものである。

 石垣は40〜60cmほどの石を高さ3mに積み上げ、約60mにわたって築かれている。中には一辺が1mを越える巨石が使われ、石垣の南側隅には枡形状の虎口がある。
 石垣は段丘地形に沿って2段に積まれており、この間の方形の広い空間が曲輪と考えられる。

 この曲輪はとりとめもなくあまりにも広く、また曲輪から石積みの上に登るために石積みのスロープがつくられており、城郭遺構とするには違和感を覚えた。
 しかし、 この地区のあちらこちらにみられる石垣と、高野城の石積みは明らかに積み方が異なり、年代差を感じさせる。

 地元の方に話を伺うと、高野城とする一帯の字名を「姫屋敷」といい、信長の側室であるお鍋の方の屋敷跡という伝承がある。
こうした伝承があるとおり、遺構形状などからは城郭とするよりも屋敷跡とするのが妥当ではないかと感じた。

 なお、この高野城から北東に約500mほどの所に城屋敷という字名が残っている。初老の地元の方の話では子供の頃(昭和初期頃か)は微高地で石垣が積まれていたというが、今では削平され畑地となっている。

巨石を積み上げた石垣
巨石を積み上げた石垣

城屋敷の字名の残る一帯
城屋敷の字名の残る一帯

 城郭の歴史
 織田信長の側室であるお鍋の方の子・織田信吉が、天正13年(1583)に羽柴秀吉から神崎郡高野村や犬上郡宇尾村に2000石の所領を賜り、羽柴武蔵守と名乗って高野に館を構えたとされ、これが高野城と考えられている。

滋賀県安土城郭研究所の高野城のページ


高野城の石垣をもっと紹介

段丘2段目の石垣、遠方にスロープ
段丘2段目の石垣、遠方にスロープ

枡形状の虎口
枡形状の虎口
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