福田寺

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 福田寺は布施山と号し、宗派は浄土真宗本願寺派。
寺蔵の由緒書によれば、約1300年前に忍海部荘布施(長浜市)で建立され、息長寺成功院と号した。約800年前に長浜市布施から長沢へ移転されたという。

 本願寺は天文元年以後、浅井氏との関係を深めるが、その仲介・連絡等を湖北十ヶ寺が動めた。天文9年に浅井亮政と六角定頼が本願寺と越前朝倉氏との和議の仲介に乗出した時にも浅井氏と本願寺の連絡に当たっており、「天文日記」に「従浅井方浄顕福田寺下也差上、越前通路事少弼と示合、於此方同心者可取扱之由、周防方へ申越候」(同九年三月八日条)とある。

 なお、湖北十ヶ寺は福田寺を含め、箕浦誓願寺(米原市箕浦),戌亥福勝寺(長浜市大戌亥町),十里金光寺(長浜市十里町),榎本浄願寺(長浜市榎木町),上坂順慶寺(長浜市西上坂町),上坂授法寺(以上旧坂田郡),内保誓願寺(長浜市内保町),尊勝寺称名寺(長浜市尊勝寺町),益田真宗寺(長浜市益田町)をさす。

 境内にある書院は、浅井長政の小谷城(現滋賀県湖北町)の遺構を移したものといわれ、福田寺御殿(通称浅井御殿)として県の文化財に指定されている。また書院の庭は国指定名勝。室町時代末期の様式を伝える枯山水庭園である。毎年4月24日、25日に行われる公家奴振りは県選択無形民俗文化財となっている。


 福田寺と浅井氏の繋がりは、寺伝では「長政とお市の間には、三人の娘のほかに、男の子が二人いた。上の子が万福丸、下の子が万菊丸といった。小谷城落城時に二人とも脱出したが万福丸は発見され磔刑、あるいは串刺しにされたが、生後3ヶ月の赤ん坊だった万菊丸は幸い誰にも気づかれることなく福田寺で養育された」と伝えられている。

 江戸期に12代覚芸の跡を継いだ正芸が、この万菊丸であるとされるが、坂田郡志は正芸を浅井長政の遺児万菊丸とするのは疑問があるとしている。
福田寺山門
福田寺山門


福田寺御殿(通称浅井御殿)
福田寺御殿(通称浅井御殿)


蓮如上人お手植えの松
蓮如上人お手植えの松
 福田寺は長沢御坊の名でも知られ、蓮如が3年間滞在したこともあり、境内には蓮如上人お手植えとされる松が見事な枝振りを見せている。

本願寺と一向一揆

姉川の戦い・古戦場


福田寺の住所: 滋賀県米原市長沢

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