近江 西大路陣屋(仁正寺陣屋)
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 城郭の概要
所在地:蒲生郡日野町西大路
別 名 : −
築 城 :元和6年(1620)
初城主:市橋長政
区 分 :陣屋
遺 構 :移築門
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用

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 駐車場
中野城の駐車場を利用
【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月
評価項目 見所評価
選地
縄張り ☆☆
普請 ☆☆
体力消耗度 ☆☆
お勧め度
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


西大路陣屋の藩庁跡

 現地の状況
 西大路陣屋は中野城の城域にあり、案内板と共に石碑が建つだけで、陣屋の藩庁跡はゲートボール場となっている。

 唯一京都の相国寺の塔頭である林光寺の本堂に陣屋の御殿が移築されている。


林光寺の本堂

 城郭の歴史
 西大路陣屋は西大路藩市橋家1万7千石の陣屋で、元々仁正寺(にしょうじ)と記していたものを文久2年(1865)に改称したものである。

 西大路藩は元和6年(1620)市橋長政が野洲郡,蒲生郡などに2万石を封され、この地に入部し、築城したことに始まる。
市橋家は元々織田信長、豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いや大阪両陣での活躍により、元和2年に越後三条に4万石をを封された。同6年3月藩主長勝が死去し、養子の長政は減封され近江国に移り、戦国期の蒲生氏の居城・中野城に注目し仁正寺陣屋を構えた。

 元和8年幕命により所領2千石を同族の市橋長吉に分与し、2代目政信は弟・政直に1千石を分与し、1万7千石となる。その後11代続き幕末を迎えた。明治4年の廃藩置県により西大路藩は廃された。

 陣屋は明治7年に朝陽小学校となり、建物はそのまま使用されたが、大正5年に小学校が移転・新築され陣屋の建物は京都相国寺の塔頭である林光院に移築された。




観 光
相国寺
京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町
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 相国寺は、永徳2年(1382年)3代将軍足利義満の発願により、「花の御所」の隣接地に建立されたもので、京都最大の禅宗寺院のひとつと、また五山文学の中心地。



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