近江 上永原城
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 城郭の概要
所在地:野洲市永原
別 名 :永原城
築 城 :室町時代中期
初城主:永原宗行
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 : −

六角氏の紋
六角氏の家紋 四つ目結い
四つ目結

 現地への案内
交通機関
県道2号線永原信号東入る、祇王小学校

JR琵琶湖線野洲駅駅下車、約2km

詳細位置はコチラ ラ 

 駐車場
祇王小学校周辺の空地を利用

【訪 城】1999年7月
【撮 影】1999年7月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



永原城跡に建つ祇王小学校
永原城跡に建つ祇王小学校

 現地の状況
 上永原城は、現在の祇王小学校の敷地一帯にあったとされ、2001年に祇王小学校南東の農地を宅地化するにともなって、野洲町教育委員会がおこなった発掘調査では土塁と堀が検出されている。

 また、祇王小学校の西側の道を隔てた竹藪は、堀を埋めた跡ともいわれているが、地表面からは堀跡の確認できない。

 2001年に開催された現地説明会の要旨はこちら

 城郭の歴史
 永原氏は六角高賢を祖とし、馬淵氏の家臣で、もとは愛知郡にいたが、室町のはじめ頃、永原の地を本拠として野洲郡に勢力を張った。

 永禄11年(1568)永原氏は織田信長の近江進攻時に、観音寺城を落とされた六角氏と運命を共にして没落する。
 その後、永原重賢の子等は織田信長の旗本となり、天正11年(1582)本能寺の変の後、羽柴秀吉と明智光秀が覇権をかけて戦った山崎の戦い(山崎合戦)では秀吉軍として戦うが討死する。

 江戸期になって将軍上洛の宿所として永原御殿が建てられたことにより、この永原城は貞享3年(1686)幕府の命により廃城となった。

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