近江 桃原城(もばらじょう)
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 城郭の概要
所在地:犬上郡多賀町桃原
別 名 : −
築 城 :明応4年(1495)
初城主:京極政高
区 分 :山城
遺 構 :土塁
城 域 : −
     標高 約680m
     比高 約60m

 現地への案内

(注)来栖地区から、多賀神木方面へ林道を約4km登るが、林道は舗装されているものの3m足らずの道幅で対向できる箇所が少ない。
一度はバックすることを覚悟で、林道に乗り入れたい。運転に自信のない方は止めた方が賢明です。
詳細位置はコチラ 
 駐車場
杉坂峠に2〜3台駐車可

【訪 城】2008年4月
【撮 影】2008年4月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



土塁で形成された虎口
土塁で形成された虎口

 現地の状況
 桃原城は多賀と上石津を繋ぐ五僧越えの杉坂峠を押さえる阿弥陀峰の山頂付近に築かれている。
 多賀神木のある杉峠からは10分足らずで南方の曲輪切岸に着く、中核部は北方に約200m。中核部は三方をなだらかなピークに囲まれたすり鉢状の谷(東西200m×南北100m)の周囲を高さ1〜2mの土塁で囲まれた一帯である。
東方(岐阜県上石津側)のみは土塁が無く、こちらに大手を開いているとみてよい。

 中核部のなんとも不思議な光景にしばし唖然とした。
北側のピークの東斜面から北斜面にかけて土塁廻らせ、東斜面には2段の袖曲輪を配しており、城郭遺構であることには間違いはないが、広い谷を取り囲むように土塁を廻らせるような奇妙な城郭は観たことがない。
 あえて例えるなら、石塁と土塁の違いはあるが環状列石群の多和田城(米原市多和田)を思い起こさせる。

 まるで谷を攻め上ってくる敵を迎撃するためだけの施設のようである。迎撃するにはかっこうの施設であるが、守備面では戦線が延び極めて不利で、通常の「城」とは言い難いのではないか。
 
 山中で逢った地元の方の話では、関ヶ原の戦いの落ち武者伝説があるという。
関ヶ原の戦いで敗れた西軍の一帯が追跡する東軍を迎え撃つ塹壕として築いたとすれば、理解できなくもないが・・・・・・・。


 城郭の歴史
 「金剛輪寺下倉米銭下用帳」には明応4年(1495)に京極政高が本拠を置き、多賀新左衛門経忠も入城して兵糧・軍資の調達を行ったことが記されている(近江愛智郡志)


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南斜面の曲輪と切岸
南斜面の曲輪と切岸


谷を囲むように廻らされた土塁
谷を囲むように廻らされた土塁


東斜面の袖曲輪
東斜面の袖曲輪


東斜面の堀と土塁
東斜面の堀と土塁
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