箕作山城(みつくりやまじょう) 別名 箕作城
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 城郭の概要
所在地:東近江市五個荘
別 名 :清水城
築 城 :文明3年(1471)
初城主:佐々木政堯
区 分 :山城
遺 構 :石垣,土塁,竪堀
面 積 : −
      標高 325m
      比高 210m


六角氏の家紋 四つ目結い

 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ mapfan
駐車場
近くに空き地に駐車可

【訪 城】2002年1月,10月
【撮 影】2002年10月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



箕作山城へのルート案内

観音寺城と箕作山城の位置関係
観音寺城と箕作山城の位置関係

 現地の状況
 箕作山城は箕作山の山頂付近に築かれた城であるが、じつは箕作山という山が隣接して2つあるから非常にややこしい。詳しくは、左記Mapfanの地図(500mスケール)を参照願いたい。
 ここでは便宜上、箕作山城のある山を “箕作山”とし、南の箕作山を“南箕作山”と表記する。

 上記写真は南箕作山の山頂から、繖山と箕作山を撮ったものであるが、箕作山と繖山とは、湖東平野にあって隘路を形成する交通の要衝の地で、江南を支配する六角氏が居城をここに置いたことが容易に窺い知れる。現在でも、国道8号線、JRびわこ線、および新幹線が繖山と箕作山の間を通っている。

 箕作山への登り口は、清水鼻地区,山本地区,建部地区の3ヶ所ある。清水鼻地区から登ると麓に石垣作りの山道があるが、これは旧慈恩寺の遺構である。途中で大きな竪堀を見ることが出来る。

 山本地区には山麓の広範囲にわたって、石垣造りの曲輪群があるが、箕作山城関連のものか不明。また、中腹にも石垣で組まれた曲輪跡と竪堀が確認できる。

 本丸のあったと考えられる山頂には、わずかに数メートルほどの石積みが残り、北西尾根側には竪堀と堀切とを確認することができる。
 この北西尾根を200mほど下ったところに、大正11年に滋賀県保勝会によって建てられた箕作山城の石碑が建てられているが、雑木が生い茂り、落葉期以外は見つけ難い。

 城郭の歴史
 箕作城の歴史は、応仁・文明の乱のとき、佐々木政堯が従弟佐々木高頼の観音寺城に対し、室町幕府の内書を受け箕作山に築城したことに始まる。
 この時点では清水城とよばれていたが、天文19年(1550)に六角定頼が築城、若しくは改修したとされ、佐々木政堯が築城した清水城と六角定頼が築城した城が同じ城であったかどうかは不明。

 永禄11年(1568)足利義昭を奉じて上洛をめざす織田信長の近江侵攻により、観音寺城の落城と命運を共にし、その後は廃城となったようである。


箕作城城址碑
箕作城址碑


箕作山山頂付近の石積み
箕作山山頂付近の石積み
山本地区山麓の石垣
山本地区山麓の石垣


北西尾根北斜面の3条の堅堀
北西尾根北斜面の3条の堅堀
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