水口岡山城別名水口古城)
HOME近江の城郭 甲賀地区
 城郭の概要
所在地:甲賀市水口町水口
別 名 :水口古城
築 城 :天正13年(1585)
初城主:中村式部少輔一氏
区 分 :平城
遺 構 :石垣,土塁,竪堀,堀切
城 域 :300m×200m
     標高 282m
     比高100m


 現地への案内
車
 国道307号線・水口大橋の北東、約1km
詳細位置はコチラ 

 駐車場
登り口の空地を利用

【訪 城】2000年5月,2008年2月
【撮 影】2008年2月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★★
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り




本丸〜二の丸間の空堀(本丸側から)
本丸〜二の丸間の空堀(本丸側から)

 現地の状況
 水口岡山城は、椀を伏せたような姿を見せる大岡山(だいこうやま)、通称城山(古城山)と称される標高282mの山一帯に築かれた山城で、別名を水口古城ともいう。

 城址は近年、城址公園として整備され、堀切,堅堀,虎口、および石垣など、見事な山城遺構を楽しむことができる。

 東西の尾根筋に5つ曲輪を連郭式に配置し、各曲輪間には堀切を入れた中世の山城における縄張りを踏襲しているが、堀切や堅堀などの規模が大きく対徳川戦に備えた秀吉方の決意のほどが窺える。

 本丸の北側下の帯曲輪には土塁による食違い虎口を設け、狭い曲輪内での虎口づくりに工夫が観られる。本丸の南側下にも同様の食違い虎口がある。

 石垣は本丸を中心とした北斜面に数ヶ所みられるが、南斜面は山の地形をそのまま利用しており石垣が積まれた形跡はなさそうである(南斜面では山麓近くにみられる)。
水口城の築城の際、岡山城の石垣を石材として使ったといわれているが、岡山城の場合全山石垣造りの城というわけではなかったようだ。
本丸に立つと木々の間から四方に遠望がきき、立地は抜群。


 城郭の歴史
 天正13年(1585)、羽柴秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて築かせた山城で、当時は水口城と呼ばれた。

 天正18年(1590)中村一氏の駿河転封の後には増田長盛が、文禄4年(1595)には長束正家と、五奉行の一員があてられていることからも秀吉がこの水口の地を重要視していたことが窺える。

 これは秀吉が、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで織田信雄,徳川家康連合軍と和睦に持ちこんだものの、遠江から三河を領する徳川家康への牽制、および水口の地に城を築くことで東海道を押さえることを目的として築いたことは疑うべくもない。

 秀吉死後、慶長5年(1600)に関ヶ原戦いが起こると、長束正家は西軍に属したことで池田長吉らに攻められて水口岡山城は落城した。

 江戸期の寛永11年(1634)、徳川家康が水口の地に新たに城(将軍家御茶屋御殿)を築き、水口城と称した。この時、水口城を築城するにあたって水口岡山城の石垣を石材として利用したとも伝えられる。
水口城が築城なった時点で、水口岡山城は廃城となったと考えられる。




お薦めの書籍
お勧め度









縄張り図

二の曲輪と四の曲輪間の堀切
二の曲輪と四の曲輪間の堀切


主曲輪の石垣
主曲輪の石垣

本丸北側下の食違い虎口
本丸北側下の食違い虎口


主曲輪の石垣
主曲輪の石垣

HOME近江の城郭 甲賀地区

近江の城郭