近江 丸山城(丹羽砦)

【城郭の概要】

所在地:彦根市小野町
別 名 :丹羽砦
築 城 :元亀元年(1570)
初城主:丹羽長秀
区 分 :山城
遺 構 :曲輪
面 積 : −








丸山城から佐和山を望む
丸山城から佐和山を望む

・交通:国道8号線鳥居本南の信号を東入、
    名神高速に沿って約200m南
・駐車:路上
・撮影:2002年6月
遺構の保存状態
遺構確認し易さ
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)
現地の状況
 幾つも小さな尾根が入り組み、どの山なのか非常に特定しにくいが、名神高速をくぐる「彦根25」のトンネルから登ると間違えることはない。
百々某の骨塔
百々某の骨塔

途中に「百々某」の骨塔が建っている。
 おそらくは信長公記にも「百々屋敷」と出てくる百々氏のものであろう。

しかし、百々屋敷はこの位置ではない、

 骨塔横から高圧線メンテナンス用の道を登ると10分ほどで高圧線鉄塔に出る。ここが丸山城の主曲輪にあたる。

 南北に曲輪を連ね、北の曲輪には土橋らしき痕跡が認められる、南には三段の曲輪が設けられているが、削平は不完全である。西側には竪堀を1条確認する。正面には、当然のことであるが佐和山を望む。

【城郭の歴史】
 元亀元年(1570)の姉川の合戦後、浅井の重臣・磯野員昌が佐和山城に籠城した際に、信長が佐和山城に対して築いた四つの付城のひとつで、東の付城とされる。

  ---------以下、信長公記の抜粋--------
夫れより佐和山の城、磯野丹波守楯籠り、相拘え候へき。直ちに信長公、七月朔日、佐和山へ御馬を寄せられ、取り詰め、鹿垣結はせられ、東百々屋敷御取手仰せつけらる。丹羽五郎左衛門置かれ、北の山に市橋九郎右衛門、南の山に水野下野、西彦根山に河尻与兵衛、四方より取り詰めさせ、諸口の通行をとめ、同七月六日、御馬廻ばかり召し列れられ、御上洛。
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 信長公記に百々屋敷とされているのは、丸山城より1kmほど北の鳥居本町本町にあったとされ、丸山城は佐和山の監視、百々屋敷は中山道の押さえとして機能していたのか。



近江の城郭