近江 馬淵城 
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 城郭の概要
所在地:近江八幡市馬淵町
別 名 : −
築 城 :鎌倉時代中期
初城主:馬淵氏
区 分 :平城
遺 構 : −
城域 : −

 現地への案内

国道8号線馬淵の信号を北に入る

mapfan

 駐車場
空地に駐車

【訪 城】1999年6月
【撮 影】1999年6月,2008年9月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



城屋敷とよばれる一画
城屋敷とよばれる一画

 現地の状況
 馬淵城跡とされる一帯は城屋敷と呼ばれ、現在は畑地、および住宅地となっている。小字城屋敷に隣接した一町歩の田圃は「一ツ堀」とよばれている。この一画は、昭和40年頃の圃場整備前までは沼地状態だったという。
 同様に馬淵地区には蔵の町,藪雨田(流鏑馬田か)などの地名が残されている。

 馬淵城の詳細は不明であるが、近くを流れる白鳥川を何らかの形で利用していたであろうことは容易に想像される。
 白鳥川に関しては、現在馬淵地区の東を流れているが、これは昭和40年頃の圃場整備に伴って川筋が変えられたもので、当初は馬淵地区の西を流れていた。
 この川筋の名残が現在も馬淵地区を流れる細い水路と考えられ、馬淵城は白鳥川が大きく蛇行し、三方を白鳥川で囲まれた地形に築城されていたと推定される。

 馬淵地区にある真光寺は馬淵氏の菩提寺で、墓地には馬淵一族の墓とされる五輪石塔群がある。
また、馬淵は岩倉山から良石を産出することもあって、馬淵衆や岩倉衆などの石工集団の発祥の地としても知られている。
真光寺の五輪塔
馬淵一族の墓とされる五輪塔

 城郭の歴史
 馬淵氏は佐々木定綱の五子広定が馬淵に住んで馬淵氏を称したのを初めとする。馬淵氏は六角氏家臣の中で守護代を務めるなど重きをなした。

 文亀2年(1502)主家六角氏に対して叛乱を起こした守護代・伊庭貞隆(伊庭の乱)によって。馬淵城および同盟関係にある永原城は攻められて落城し、馬淵氏は伊庭氏に降った。
文亀3年(1503)馬淵城は蒲生貞秀の攻撃を受け、城主・馬淵道哲は観音寺城に逃れた。

 永禄11年(1568)馬淵氏は織田信長が足利義昭を奉じて上洛する際、信長の上洛を阻止せんと六角氏と共に抗戦したが、織田軍に攻められて一族はことごとく離散したという。

一ツ堀の小字名の残る田圃
一ツ堀の小字名の残る田圃

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