近江 久徳城
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 城郭の概要
所在地:犬上郡多賀町久徳
別 名 : −
築 城 :文明17〜18年(1484〜1486)
初城主:久徳次郎定高(二郎定高)
区 分 :平城
遺 構 :空堀
城 域 :200m×300m
戦 い :永禄3年(1560)
     ○浅井長政
       VS
     ●久徳左近太夫実時

 現地への案内

国道307号線久徳
詳細位置はコチラ 

 駐車場
空地を利用

【訪 城】
2000年8月
【撮 影】2000年8月,2008年9月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



久徳城の城址碑
久徳城の城址碑

 現地の状況
 久徳地区の氏神市杵島姫神社の境内と南側の遊園地一帯が久徳城址で、遊園地東側には土塁が現存する。
また、市杵島姫神社周囲には幅5m,深さ1m〜2mの空堀が残る。
 
 久徳城の大手門は現在の市杵島姫神社の入り口とは違い、南側に位置していたという。大手門から南の延びた大手道の先の芹川には大手橋が掛かり、この芹川が外堀の役目を果たしていたと考えられている。

 久徳城の搦手側(北)、住宅の中に久徳氏代々の墓石が建てられている。この地は久徳氏の菩提所赤田山霊山寺のあった場所で、幾つかの墓石があるが、中央の高さ2mほどの墓石がそれだという。

市杵島姫神社周囲の空堀
市杵島姫神社周囲の空堀

 城郭の歴史
 久徳城は多賀神社の神官である多賀氏の一族、多賀豊後守高忠の弟・多賀二郎定高によって文明17〜18(1484〜85)年頃に築かれたとされる。

 久徳氏は天文年間には京極氏、浅井氏に従っていたが、後に六角義賢に従い、永禄2年(1559)六角軍と共に高宮城を攻めた。
 翌、永禄3年(1560)3月、久徳城は佐和山城の磯野丹波守員昌や高宮城の高宮三河守頼勝を率いる浅井長政の攻撃を受けて落城し、久徳左近太夫実時以下、200余名は悉く戦死した。

 この後、犬上郡一帯は浅井氏の領域となり、佐和山城主・磯野員昌の支配下に入り、六角氏の勢力は愛知川以南へと後退を余儀なくされた。
久徳氏代々の墓
久徳氏代々の墓


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