近江 朽木陣屋(朽木城)
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 城郭の概要
所在地:高島市朽本村野尻
別 名 :朽木城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :館
遺 構 :石垣,堀,井戸,土塁
城 域 :500m×180m

朽木氏の紋
朽木氏の家紋 四つ目結い
四つ目結

 現地への案内
交通
国道367号線朽木村野尻から県道23号線へ入るとすぐ

JR湖西線 安曇川駅下車 バスで10分

詳細位置はコチラ 

 駐車場
朽木郷土資料館の無料駐車場を利用、約10台駐車可

【訪 城】
2000年11月
【撮 影】2000年11月
評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

堀跡
朽木陣屋の堀跡

 現地の状況
 朽木郷土資料館横の史跡公園に、わずかな石垣と共に土塁、井戸が、また県道横には堀跡が残っている。
 当時は約10万平方メートルの敷地に本丸をはじめ、二の丸、三の丸、御殿,侍所,剣術道場、および馬場などがあったされる。


 城郭の歴史
 朽木陣屋は佐々木氏の庶流である朽木氏の館跡に建てられたもので、江戸時代に陣屋へと変遷を遂げたと推定されている。

 この朽木陣屋(朽木氏城)は、安曇川本流と支流の北川が合流する野尻に位置している。この地は若狭や越前などと京都を結ぶ朽木街道に面し、軍事上、政治的、および経済的にも交通の要衝である。

朽木氏は、承久3年(1221年)の承久の乱の後、佐々木信綱が朽木荘地頭職を得て、その子孫・義綱が朽木五郎と称したのに始まり、代々室町幕府の奉公衆を務め、天文22年(1553)三好長慶に京を追われた将軍足利義晴、義輝父子を匿うなど室町幕府を補佐した。

 元亀元年(1570)織田信長の朝倉攻めが浅井長政の離反で失敗した際、信長の朽木越えを助けた。その後は織田信長、豊臣秀吉に仕え、朽木谷2万石を領有した。

 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、当初は大谷吉継に従って西軍に属したものの、小早川秀秋に呼応して脇坂安治や小川祐忠、赤座直保らとともに東軍に寝返った。
戦後、寝返り理由を明らかにしなかったとの理由により厳封されたが、以後準大名格でこの地を領有し、明治維新を迎えた。
冠木門を模した郷土資料館入口
冠木門を模した郷土資料館入口
井戸跡
井戸跡

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