近江 黒川氏城
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 城郭の概要
所在地:甲賀市土山町鮎河
別 名 : −
築 城 :永禄年間(1558〜1569)
初城主:黒川玄蕃佐
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,堀切,空堀,堅堀,石垣
城 域 :100m×100mか


 現地への案内
国道1号線土山役場前から県道9号線を経て鮎川地区へ、県道9号線と県道507号線の交差点の東の山

 駐車場
交通機関
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詳細位置はコチラ 

【訪 城】2001年月,2008年4月
【撮 影】2008年4月
評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★★
普請 ★★★
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



主曲輪南尾根の堀切
主曲輪南尾根の堀切

 現地の状況
 黒川氏城の築かれている山は比高50mほどの小山であるが、県道側は比較的斜度がきつく、県道9号線と県道507号線の交差点北側(左手)の駐車場前、若しくは、県道507号線との交差点の南約300m、県道507号線沿いにある黒川氏城の案内板の所からが登りやすい。

 この黒川城は単郭方形の城砦の多い甲賀地方にあって、複郭で規模が大きい上、縄張りの複雑さでは近江の数ある城砦の中でも際だっている。

 また縄張りで特徴的なことは横堀を多用している点にある。近江において横堀が観られる城砦は、甲賀地方の城館群と天正11年の賤ヶ岳の戦いに関連して築かれた湖北地方の城砦群(玄蕃尾城東野山砦など)、および湖東地方における小倉氏,蒲生氏関連の城砦群(佐久良城音羽城日野城)であるが、黒川氏城の横堀は単に曲輪周囲に巡らせただけではなく、横堀を通路(堀底道)として使うことで敵を誘導,迎撃する意図がみえ、戦術的に横堀を使っている点は注目される。

 また、甲賀地方は甲賀五十三家に代表され、あるいは「甲賀郡中惣」にみられるように、独立性の強い小豪族の集まりで、和田氏の城砦をとっても、小さな谷を囲むように和田城,和田支城といった単郭方形の小さな館城(やかたじろ)を幾つも築くパターンが多い。
 一方、黒川氏城は主曲輪を中心とした求心性の強い曲輪配置をしており、甲賀武士とは違った権力構造をもった勢力によって築かれたことが窺えるが、歴史的には甲賀五十三家の一家である黒川氏の居城ということしか分かっていない。

 なお、北に1km離れた大河原氏城も、この黒川氏城と非常によく似た縄張りをしており、黒川氏城との関連も考えられるが詳しいことは不明。


主曲輪土塁の石積み
主曲輪土塁の石積み

 城郭の歴史
 黒川氏城は永禄年間(1558〜1569)黒川玄蕃佐が築いた城で、この山をを城山とよばれている。
 黒川氏は守護六角氏に属し、長享・明応の頃(1487〜1501)しばしば戦功をたてる。黒川久内は長享の乱(1487)の功により、黒川・黒滝を領有し、以後子孫世襲する。

 黒川玄蕃佐に至り、黒川氏城主として、山女原・笹路・黒川・黒滝・鮎河の松尾川東方を支配し、その子八左衛門につたえる。
 天正13年(1585)豊臣秀吉に、紀伊川堤防修築工事の責任を問われ、築城以来20余年にして廃城となる。



黒川氏城をもっと紹介

主曲輪西側虎口の石段
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主曲輪北側下の曲輪虎口
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土塁と堀で迷路のような通路
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主曲輪北側の虎口
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主曲輪北側下の曲輪虎口
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切り出し土塁
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