近江 黒川城
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 城郭の概要
所在地:甲賀市土山町黒川
別 名 : −
築 城 :応仁年間(1467〜69)
初城主:黒川与四郎
区 分 :平山城
遺 構 :空堀,土塁
城域 :80m×90m

 現地への案内

国道1号線猪鼻の信号より県道507号線入

 駐車場
町立山内小学校の駐車場を利用

【訪 城】2001年7月
【撮 影】2001年7月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



曲輪周囲の土塁と空堀
曲輪周囲の土塁と空堀

 現地の状況
 黒川城は町立山内小学校の前の丘陵地中腹に位置しており、山内小学校の駐車場に車を置いて、山道を登ること約5分で城域に入る。

 杉木立の中に曲輪があり、その周囲には0.5〜1mほどの土塁と空堀を巡らせている。城というよりは屋敷地といった印象を受けた。


 城郭の歴史
 黒川城主の黒川氏は、応仁・文明年間(1467〜87)に黒川与四郎が蒲生郡馬淵(近江ハ幡市)下司職と土山課役を給分として領有した。

 その後、近江国守護六角氏の配下となり、永禄11年(1568)第15代将軍足利義昭を奉じて上洛する織田信長の上洛阻止に失敗した六角義賢(承禎)の甲賀亡命に加担した。
 また、甲斐の武田信玄への応援の使者として義賢の次男中務太夫賢永と共に家臣・辻和泉を甲斐へ下らせた。

 天正13年(1585)の甲賀破儀をもって改易されたが、のち再び本領黒川のみを食封として許された。

 慶長19年(1614)大坂冬の陣には豊臣秀頼に属して参軍したために領地を失ったが、黒川氏の娘が徳川頼宣の側室となり綱教を生んだことで、幕下に列せられて黒川村を領した。

 なお、同じ甲賀市の土山町鮎河には黒川氏城があり、黒川氏の城と考えられるが、詳細は不明。

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