黒田屋敷
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 城郭の概要
所在地:伊香郡木之本町黒田
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :居館
遺 構 : −
城 域 :


 現地への案内
交通機関は車を利用
北陸自動車道木之本ICから国道365号線を北へ約1km
 詳細位置はコチラmapfan

 駐車場
・駐車:黒田公民館前に駐車

【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



黒田屋敷跡

 現地の状況
 木之本町黒田地区の公民館の建つ一帯が黒田屋敷跡である。遺構らしきものは残されていないが、北東隅に黒田氏廟所が建てられている。


黒田氏廟所

 城郭の歴史
 筑前・福岡52万石黒田家の藩祖は当地の御廟に祀られている佐々木源氏(近江源氏)の流れをくむ黒田判官・源 宗清(別名宗満)公であり、この近江国伊香郡(木之本町)黒田村に住み、湖北の荘園の領主として黒田判官と称した。

 黒田村の中央の小字・構と称するこの一角が往年の構屋敷、即ち黒田判官の屋敷跡である。
 黒田判官・宗清公(弘安元年(1278)〜延文2年(1357)法名道法)より数えて6代目・高政公の時代、舟岡山の戦い(永正8年)の後、備前邑久郡福岡村に移り住むまでの約200年間、黒田氏は6台にわたりこの地に居を構えていた。

 この構屋敷から西へ約1km離れた余呉川対岸の山麓、小字名を穂先谷(現在の保崎谷)の観音寺にかっては穂先長者とも伝えられている源宗清公が寄進したといわれる鎧の草摺があった。

更に、それより南1.7km離れた田井(現在の田居)の寿徳寺(黒田村より移築された現在の樹徳寺)には黒田氏歴代の墓石と黒田官兵衛孝高如水公の肖像画の掛け軸がある。

現地案内板より





観 光
樹徳寺
伊香郡木之本町田居19
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 黒田氏歴代の墓石と黒田官兵衛孝高如水公の肖像画の掛け軸がある。

黒田氏関連史跡
福岡城
福岡県福岡市中央区城内
 黒田如水、長政父子は慶長5年(1600)関ケ原の戦いの軍功により、豊前中津16万石から筑前52万3千石の大名となり名島城に入った。慶長6年(1601)博多の地に新たな城の築城を開始、7年の歳月をかけて福岡城が完成された。
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