近江 公方屋敷(足利義昭屋敷)
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 城郭の概要
所在地:甲賀市甲賀町和田
別 名 : −
築 城 :天正2年(1574)
初城主:足利義昭
区 分 :館
遺 構 :土塁,井戸
城域 : −

 現地への案内
交通機関
県道4号線油日農協の信号を南入る、県道51号線
 駐車場
空地を利用

【訪 城】2002年6月
【撮 影】2000年10月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



公方屋敷の遠景
公方屋敷の遠景

 現地の状況
 公方屋敷は和田川の西、和田惟政の居城・和田城の北方約800mにあり、三方を丘状尾根に囲まれた東西100m×南北150mほどの一帯としており、ほぼ中央部に大きな杉の木の下に案内板が建てられている。
 一方、滋賀県教育委員会が公方屋敷跡と称しているのは、この小さな谷を形成している南と北の丘の上としている。

 いずれも削平がなされ曲輪跡であったことが確認できる。南の尾根上の曲輪一帯は竹藪の中に櫓台も確認できる。

 この地形は六角氏の初期の居館であったとされる小脇山館とよく似ており、中世における居館選地に共通性を見ることができる。
また、この屋敷跡の西側約300mに川を挟んで、公方屋敷支城と称される砦がある。


公方屋敷
公方屋敷

 城郭の歴史
 公方屋敷は室町幕府の第15代将軍足利義昭が一時居したところで、当時の将軍は公方と呼ばれることから地元でも公方屋敷と伝えている。

 永禄8年(1565年)5月第13代将軍・足利義輝が三好,松永氏等によって二条御所で殺害された。永興福寺一乗院の門主足利覚慶(義輝の弟)は身の危険を感じ、細川藤孝、和田伊賀守惟政の助けを借りて奈良し、甲賀に亡命した。

 その後、和田氏の所領である野洲矢島(矢島御所)に移り、若狭の武田義統、越前一乗谷の朝倉義景を頼って流浪するが、朝倉家の家臣であった明智光秀の仲介により、美濃岐阜城にあった織田信長を頼って美濃へ移り、永禄11年(1568年)9月織田信長に擁立されて上洛。
10月18日、将軍宣下を受けて第15代将軍に就任した。

 その後、義昭は信長と対立することが多く、天正4年(1576年)毛利氏を頼って備後の鞆に亡命したが、室町幕府を再興することはできず、慶長2年(1597年)大坂で死去した(享年61歳)。


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