近江 北之庄城
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 城郭の概要
所在地:近江八幡市北之庄町
別 名 :−
築 城 :元亀年間か
初城主:−
区 分 :山城
遺 構 :堀切,土塁,堅堀,横堀,井戸
面 積 :400m×100m
     標高 254m
   比高 約150m

 現地への案内

JRびわこ線、近江八幡駅から約3km

詳細位置はコチラ 


 駐車場
北之庄地区の空地を利用
【訪 城】2000年8圧,2008年3月
【撮 影】2008年3月
評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



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お勧め度







副曲輪の枡形虎口
副曲輪の枡形虎口

 現地の状況
 北之庄神社本殿の右側から山道に入り、25分ほどで主曲輪手前の堀切に掛けられた土橋に着く。この間、小さめの堀切と土橋、および堀切があるが、ルートによっては副曲輪の枡形虎口に出る可能性もある。

 北庄城は八幡山城の築かれている八幡山(鶴翼山)と尾根続きの標高254mの山に築かれ、南北に延びる尾根に幾つかの曲輪連ねているが、大きくは2つの曲輪とみて差し支えない。
というのも、2つの曲輪が非常に大きく、他の小曲輪の存在を論じてもあまり意味がない。

 主曲輪は50m×50mほどの広さで、主曲輪の北側約30mほど下った副曲輪は100m×100mほどの広さを有し、いずれも周囲を切出しの分厚い土塁を巡らせている。
土塁の高さは高いものは5〜6mをはかり、スケールの大きな中世城郭である。

 主曲輪は南北に虎口を設け、いずれも平虎口ではあるが、北側虎口は石積みの跡が確認できる。
 副曲輪の虎口は、北に2つ、西に1つ、東の1つと計4つの虎口が設けられている。このうち東側の虎口は枡形虎口で、土塁を石垣に変えれば、近世城郭の虎口そのままともいえる規模と構造をしている。

 副曲輪には7つ池と称される7つの池がある。おそらく飲料水用の井戸代わりに使われたのではないか。
 主曲輪、および副曲輪内部の削平はあまく、この城が長期にわたって使われていなかったことを窺わせる。
主曲輪南側の横堀と土橋
主曲輪南側の横堀と土橋


 城郭の歴史
 北庄城は、八幡山城とは直線距離にして500〜600mにあって、規模も大きな城であるが、いつ、どのような目的で築かれたかは全く判っていない。

 現地の状況を整理して、北庄城の築かれた年代と築城目的について考えてみたい。

1.八幡山城の城下は南側山麓であるのに対し、この北之庄城は曲輪配置からしても北向きであることは明かである。

2.副曲輪の枡形虎口の形状、および規模から推察すると元亀〜天正年間である。

3.副曲輪の虎口が三方向(北,西,東)に4つの虎口が設けられているのは、通常の城砦では考えられず、曲輪が異常に広いこと、および井戸代わりの池が7つもあることを考え合わせると、千〜数千規模の軍勢が有事に備えて駐屯、若しくは待機用に築城されたのではないか。

 以上の事実と仮説を繋ぎ合わせると、信長公記の元亀元年の「越前手筒山攻め落せらるるの事」に記載されている宇佐山城長光寺城、および安土城などと共に、この北庄城も織田信長の命に従い築城された可能性が高い。

----------------------------信長公記 ココカラ
さて、京表面々等の人質執り固め、公方様へ御進上なされ、天下御大事これあるに於いては、時日を移さず御入洛あるべきの旨、仰せ上げらる。五月九日御下、志賀の城・宇佐山拵へ、森三左衛門をかせられ、十二日に永原まで御出で、永原に、佐久間右衛門置かれ、長光寺に、柴田修理亮在城。安土城に、中川八郎右衛門楯寵る。此の如く塞々に御人数残しをかせられ、
----------------------------ココマデ


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主曲輪の土塁
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副曲輪の遠景
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主曲輪虎口の石積み
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副曲輪の7つ池のひとつ
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