近江 柏原御殿
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 城郭の概要
所在地:米原市柏原
別 名 : −
築 城 : −
築 城 : −
区 分 :館
遺 構 :館址,井戸
城 域 : −

 現地への案内
交通機関
国道21号線柏原

詳細位置はコチラ 

 駐車場
駐車場は無し

【訪 城】1999年10月
【撮 影】1999年10月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


御殿跡に建つ石碑
柏原御殿跡に建つ石碑

 現地の状況
 柏原御殿は旧中山道・柏原宿の町並みの南外れに位置し、現在では駐車場に姿を変えているが、駐車場内には井戸が残る。

 近くには京極氏の菩提寺である清滝寺徳源院がある。また、後醍醐天皇の側近で、鎌倉幕府討伐の中心人物であった北畠具行が、京極道誉の助命嘆願にも及ばすこの地で処刑され、墓が建てられている。

北畠具行の墓
北畠具行の墓

 城郭の歴史
 柏原御殿は江戸時代の初め、将軍上洛下向(京都・江戸間の通行)の際の宿泊・休息を目的として、街道の各所に設けられた館である。
 近江では、こうした御殿が柏原御殿のほかに、野洲の永原御殿、水口の水口御殿(水口城)があり、これらを「近江三大御殿」と称された。

 天正16年(1588)徳川家康が上洛の際、統治の西村家で休息。以後中山道通過の際の恒例となっていたが、通過が頻繁になったため、元和9年(1623)二代将軍秀忠が殿舎を新築。以後、御殿番をおいて守備してきた。

 その後、徳川幕府の勢力増大につれて将軍上洛は減少、元禄2年(1689)ついに当地御茶屋御殿は廃止された。
 家康の頃から約百年の間に、記録にあるだけのものを合わせて14回使用されている。元禄4年(1691)の記録では総敷地壱町九畝余、その他御守殿跡一畝八歩とある。
勝専寺の門が御殿の門と伝えられている。(現地案内板を編集)

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