近江 柏原城
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 城郭の概要
所在地:米原市柏原
別 名 : −
築 城 : −
初城主:柏原為永
区 分 :平城、詰の城
遺 構 :土塁,曲輪
城 域 : −
      標高 439m

 現地への案内
交通機関
国道21号柏原

詳細位置はコチラ 

 駐車場
徳源院の駐車場を利用

【訪 城】1999年11月,2008年11月8日
【撮 影】2008年11月8日

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


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徳源院の庭園
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 現地の状況
 柏原城は京極家の菩提寺である清滝寺徳源院を中心とした一帯で、徳源院の山門の横に、柏原城の石碑がひっそりと建っている。

 徳源院背後の清滝山山頂には、柏原城の詰の城の遺構が残る。清滝山の山頂からは、東山道(中山道)と北国脇往還道が手を伸ばせば届くような位置に見え、京極氏がこの柏原に居城を構えた意図がハッキリと分かる。
徳源院の庭園
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 城郭の歴史
 柏原城の築城年代は定かではないが、鎌倉時代初頭には柏原為永の居城であった。
柏原為永は村上源氏の末裔で、柏原庄を領し清滝に居館を構えていたが、勅命に背命することが多く、正治2年(1200)後鳥羽院は佐々木定綱に柏原為永の追討の命を下した。
 追討の命を受けた佐々木定綱は柏原為永を滅ぼし、その功として柏原城を与えられたという。

 その後、佐々木定綱の孫に当たる京極家初代の京極氏信が柏原城を居城とし、氏信はその館を拡充して京極家の菩提寺を建立した。これが清滝寺徳源院である。

 京極氏および六角氏は近江源氏である佐々木定綱を祖とする。
京極氏は近江半国の江北を、また六角氏は江南を領したが、京極氏は六角氏の観音寺城のように歴代城主が居城とした城はなく、柏原城から大平寺城上平寺城勝楽寺城河内城と居城を替えていった。


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徳源院の土塀
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清滝山山頂から東山道を望む
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