近江 観音寺城
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 城郭の概要
所在地:蒲生郡安土町石寺
別 名 :佐々木城
築 城 :応仁・文明年間(1467〜87)
初城主:佐々木六角氏
区 分 :山城
遺 構 :本丸,平井丸,落合丸,池田丸,淡路丸,土塁,石垣,井戸,暗渠,埋め門
城 域 :2500m×2000m
     標高433m 
     比高325m 
戦 い :
永禄6年(1563)
  ○六角家臣・浅井長政
     VS
  ●六角義治・六角承禎
永禄11年(1568)
  ○織田信長
     VS
  ●六角承禎

 現地への案内
交通機関は車を利用
JR琵琶湖線安土駅下車 徒歩20分
    国道8号線・安土町/五個荘町

 詳細位置はコチラ
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 駐車場
川並道および鳥打越林道(赤坂道)中腹に、いずれも10台程度

【訪 城】2002年8月
【撮 影】2002年8月
評価項目 見所評価
選地 ★★★
縄張り ★★★
普請 ★★★
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

観光
沙沙貴神社
 古代の豪族、沙沙貴山君の氏神とされていた沙沙貴神社。平安時代中期以降は近江源氏佐々木氏の氏神として崇拝されました。
沙沙貴神社

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 毎年10月10日には全国の佐佐木源氏ゆかりの人たちが、ご神前に参集して「舞楽」を奏し、先祖をしのぶ近江源氏祭が開催されます。

観音正寺
 繖山の山頂付近にあり、西国三十二番札所としても有名。

桑実寺
桑実寺
 天文元年(1532)に室町幕府13代将軍足利義晴が、ここに仮の幕府を設置。
 また、永禄8年(1565)12月ひそかに南都を脱出した足利15大将軍・足利義昭(当時、奈良興福寺一乗院門跡)が六角左京大夫承禎義賢(後の六角承禎)を頼った時に逗留した寺、当時、足利義昭の逗留した坊は正覚院は竜王町に移転している。

湖東三山
 琵琶湖東部の鈴鹿山麓に抱かれた天台宗の寺・西明寺・金剛輪寺・百済寺を総称して、「湖東三山」という。
永源寺とともに紅葉狩りの名所として有名。


西明寺
犬上郡甲良町池寺26
TEL 0749-38-4008
大人 500円
西明寺

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百済寺
東近江市百済寺町323
TEL 0749-46-1036

大人 500円
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金剛輪寺
愛知郡愛荘町松尾寺874
TEL 0748-37-3211
大人 500円

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永源寺
 康安元年(1361)、近江国守護職六角氏頼が伽藍を建て、寂室元光禅師を迎えて開山、瑞石山永源寺と号した。
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東近江市永源寺高野町41
TEL 0748-27-0016


鵜川48躰仏
 六角義賢が亡き母の菩提を弔うために、観音寺城の対岸・高島の地に弥陀四十八願に因んで造ったとされる。
鵜川四十八躰仏
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地獄越え付近の北西斜面の堅堀
地獄越え付近の北側斜面の堅堀

 現地の状況
 観音寺城は標高433mの繖山一帯に築かれた山城で、登城道は幾つもあるが、一般的には石寺地区、若しくは桑実寺から徒歩で登るルートと、途中まで車を利用して登るルートがある。

 車を使用する場合は、東近江市五個荘川並町から黎明の里から林道に入る。若しくは安土町の鳥打越から林道を利用するとよい。いずれも有料で、管理費として500円を徴収される。
 徒歩なら1時間、車を利用すれば約20分ほどで、観音正寺に着く。観音寺城本丸は、観音正寺から更に15分ほど登る。


 山中には至る所に石垣が見られ、山全体が城塞化されており、これらの石垣遺構は弘治2年(1556)より六角義賢が改修したものとされる。

中でも、本丸の薬師口(桑実寺方面)の食違い虎口は、永禄11年の信長の近江侵攻以前に築かれていたものであり、永禄年間における六角氏の築城,縄張り技術を考察する上では非常に貴重な遺構と云える。

 なお、虎口については、城砦における虎口構造の発達 で詳細に紹介しています。


 また、平井丸の大石で組まれた石垣の算木積みの技法、あるいは池田丸等の石垣には “横目地” が通っていること等を観ていくと、天正4年(1575)から始まる安土城築城以前の近江における石積み技術の高さを窺い知ることが出来る。

 もう一つ、観音寺城における高度な石積み技術を示すのが、馬淵邸付近にある7mを越える高石垣や大手道にある6mほどの高石垣の存在と、本丸東側の階段中腹に観られる排水用の暗渠や池田丸の曲輪内部に観られる排水枡である。

 こうした高度な排水対策が施されていることで400年以上経った現在でも見事な石垣が崩れることなく残っているわけで、安土城や大阪城などの近世城郭に先行して築かれた “石垣造りの観音寺城” の存在意義は非常に大きいと云える。

繖山から安土山を俯瞰
繖山から安土山を俯瞰


 城郭の歴史
 観音寺城は標高433mの繖山(きぬがさ山)に築かれた近江源氏・佐々本六角氏の居城で、六角氏が、いつごろ繖山に城砦を築いたのかは明らかではないが、建武2年(1335)足利尊氏についた氏頼(時信という説もある)が、奥州より攻め上ってきた北畠顕家軍を阻止しようとして、観音寺の城郭に立て龍もったという「太平記」の記述が初見とされている。

 永禄11年(1568)織田信長が第15代将軍足利義昭を奉じて上洛する際に、これを阻止しようとした六角承禎(義賢)、義弼父子は箕作城和田山城をはじめとする諸城に籠もって戦うが、支えきれず甲賀に遁走し、観音寺城は落城した。

本丸の食い違い虎口図
本丸食い違い虎口図


本丸食い違い虎口
本丸食い違い虎口

六角氏の系譜
 近江源氏は宇多天皇を祖とし、宇多天皇の代八皇子・敦実親王が近江に下向、佐々木荘を本拠として佐々木氏を名乗るようになったことに始まる。

 8代佐々木秀義は少年の頃より源為義に従い為義の猶子となる。保元の乱(1156)では源義朝に従い、平治の乱(1159)では源義平に属して平氏と戦うが、敗れて一族と共に東国に下り、相模国・渋谷重国の許に身を寄せる。
 治承4年(1180)8月源頼朝の挙兵の際に佐々木秀義は定綱,教高,盛綱,高綱,義清の五人の子を率いて頼朝に従い、鎌倉幕府の創設に貢献したことで、旧領近江国を領する。

 その後、12代佐々木信綱は長男・重綱を分家させ大原氏を名乗らせ、二男高信には高島郡に領地を与え高島氏とし、三男・泰綱には愛知川以南六郡(志賀,甲賀,栗田,野洲,蒲生,神崎)を与え六角氏として佐々木宗家を継がせる。 四男・氏信には愛知川以北の六郡(愛知,犬上,坂田,浅井,高島)を与えて京極氏とした。

 こうして近江国を二分する形で領有した六角氏と京極氏は、以後骨肉相はむ戦いを続けることになる。 なお、六角氏と称するようになったのは、京都六角東洞院にある元平賀邸に住居を構えたことに由来し、京極氏は京都京極高辻の元伊賀邸を相続したことに因んだものとされている。



観音寺城をもっと紹介

本丸の土塁と石垣
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追手道の石垣
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池田丸の石垣
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繖山北斜面の畝状堅堀
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平井丸木戸
平井丸木戸


桑実寺
桑実寺

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