近江 上岸本城
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 城郭の概要
所在地:東近江市市原野町
別 名 :野村(氏)館
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平城
遺 構 : −
城域 : −

 現地への案内
交通機関
国道307号線池之尻の信号を西入る上岸本地区

 駐車場
空地を利用

【訪 城】1999年5月
【撮 影】1999年5月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



上岸本城の堅堀
上岸本城の堅堀

 現地の状況
 上岸本城は愛知川左岸の河岸段丘上に築かれている。
この周辺には上岸本城と同様に愛知川の河岸段丘に高野城小倉城曽根城青山城、中戸城、鯰江城などが築かれている。
 これらは城砦は、南北朝期から戦国期にかけて愛知川流域を支配していた小倉氏、およびその支族達によって築城されたのもである。

 上岸本地区の北側を農道脇の雑木林の中に上岸本城は残る。農道からも竪堀が認められる。
 この竪堀を境に西側の林にも土塁や空堀の遺構が認められるが、遺構は幅20mほどの林の中だけで、大部分は開墾され畑地となっている。

上岸本城への入口
上岸本城への入口

 城郭の歴史
 上岸本城は高岸四郎範高、岸本左馬允らの拠った所という。

 永禄11年(1568)、観音寺城を織田信長によって落とされた六角承禎・義粥父子は、鯰江満介、貞景,三雲新左衛門らは鯰江城を改修して立て籠もった。
この鯰江城を攻略するにあたって、信長はこの上岸本城を“付城”としたともいわれている。

 天正元年(1573)9月、鯰江城は信長軍の佐久間盛政,蒲生賢秀,丹羽長秀、および柴田勝家らに攻められ落城した。


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