近江 常楽寺城(木村城)
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 城郭の概要
所在地:蒲生郡安土町常楽寺
別 名 : −
築 城 : −
初城主:木村氏
区 分 :水城
遺 構 :水路
城域 : −

 現地への案内

JR琵琶湖線安土下車、徒歩10分
県道2号線、下豊浦の信号から常楽寺地区へ
詳細位置はコチラ 

 駐車場
常濱水辺公園駐車場に約10台

【訪 城】1999年5月,2008年4月
【撮 影】2008年4月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

常楽寺城址
常楽寺城址

 現地の状況
 常楽寺城は観音寺城の西約2kmに位置し、湖岸近くに築城され常楽寺港を押さえる城である。
 常濱水辺公園に隣接する畑地一帯とされ、発掘によって堀を検出したとされるが、現在では遺構らしきものは残されておらず、唯一、畑地が微高地であるのが面影を止めている。
 なお、常濱水辺公園一帯には、常楽寺港の舟入が住宅地の中に残っている。


 城郭の歴史
 常楽寺城は琵琶湖の海上ルートを押さえる目的で築城されたと考えられ、代々、佐々木氏の源流狭々城山君の支流で沙沙貴神社の神官であった木村氏が城主であったとされる。

 永正4年(1507)管領細川氏の家督争いに端を発した将軍職の争いで、前将軍足利義材によって将軍職を追われた足利義澄を水茎岡山城に保護した伊庭氏の家臣・九里備前守、および伊庭貞隆と六角高頼の戦い(第二次伊庭の乱)で、木村城は伊庭方に攻められ落城した。
 六角氏と家臣・伊庭氏との戦いは永正11年(1514)から6年の長きにわたって続き、永正17年(1520)水茎岡山城の落城を契機に六角氏が勝利を得るが、元亀元年(1570)落窪の戦いを最後に六角氏が滅びると常楽寺城も廃城となった。

 常楽寺城は廃城となるが、南近江を掌握した織田信長は、天正4年(1576)安土城を築城するまでの間にたびたび常楽寺に宿泊している。
 また、元亀2年(1571)には常楽寺港から一向一揆が立て籠もる金ヶ森城を攻め、また元亀3年(1571)には常楽寺から志賀郡の木戸城,田中城攻めに出陣している。


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現在も残る舟入
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夕焼けに染まる常楽寺港
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