岩崎山砦
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 城郭の概要
所在地:伊香郡余呉町下余呉
別 名 : −
築 城 :天正11年(1583)
初城主:高山右近
区 分 :山城
遺 構 :曲輪
城 域 : −


 現地への案内

 国道365号線(北国街道)から 県道33号線に入り約500m
詳細位置はコチラ 

 駐車場
駐車場無し
【訪 城】2002年12月
【撮 影】2002年12月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

山頂付近の階段状曲輪
山頂付近の階段状曲輪

 現地の状況
 岩崎山砦は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで高山右近が布陣にしたところで、賤ヶ岳の戦いの激戦地である大岩山砦と隣接する。

 岩崎山砦へは余呉町下余呉の乎彌神社の裏手から北斜面の尾根を登る。登る人もないのか道は途切れ、標高50mほどの山にも関わらずブッシュに阻まれ意外と時間がかかる。
途中、削平された曲輪らしきところを幾つか確認するが、ブッシュの中を歩き廻るうちに大岩山からのハイキングコースに出てしまった。

 ハイキングコースを山頂付近まで登り、再びブッシュをかき分けて遺構を探す。笹藪の中に曲輪を確認、階段状に曲輪が3〜4段、当然の事ながら正面に行市山(行市山砦)が見えるように配置されている。この景色に思わず鳥肌が立ってしまった。

 また、山路正国等が布陣した天神山(天神山砦)、木下利久が布陣した堂木山(堂木山砦)が行市山の山裾と重なっており、臨場感は抜群である。

 下山は東側の谷から下りると乎彌神社の東側に出た、ブッシュもなく登る際はこちらの方がお勧めである。砦の位置は乎彌神社の真裏辺りである。


 城郭の歴史
 天正11年(1583)4月20日、行市山砦の佐久間盛政は夜半の暗闇に紛れて、集福寺坂〜文室山〜権現坂を経て、賤ヶ岳砦の北側を迂回して中川清秀が立て篭もる大岩山砦を急襲し、砦を奪取した。

 大岩山砦に隣接する岩崎山砦の高山右近は、大岩山砦が落ちたと知ると、岩崎山砦を放棄し、北国街道を挟み堀秀政が布陣する東野山砦に逃避。

 翌21日未明には、岐阜城の織田信孝を攻めるために出陣していた羽柴秀吉が大垣からとって返し、大岩山砦の佐久間盛政を急襲し、佐久間盛政の“中入り”は失敗に終わった。
 佐久間盛政の大岩山砦の急襲と呼応して、玄蕃尾城からでて北国街道を南下してきた柴田勝家も狐塚に陣を構えるも、動けないまま前田利家の離反もあって柴田軍は総崩れとなった。




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