近江 市原野城
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 城郭の概要
所在地:東近江市市原野町
別 名 :野村(氏)館
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平城
遺 構 : −
城域 : −

 現地への案内
交通機関
国道421号線、永源寺中学東から市野原町へ

 駐車場
空地を利用

【訪 城】2001年6月
【撮 影】2001年6月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



市原野城の跡
市原野城の跡

 現地の状況
 市原野城は、市原野の公民館や公園の一帯だとされる。
1990年代に行われた滋賀県教育委員会の調査では、「極く小部分に土塁跡の竹藪や石積みが探し出せる」とあるが、現在では遺構を確認することはできない。


 城郭の歴史
 市原野城、および市原野氏については文書や記録が少なく、不明な点が多いが、市原氏の末裔の方から情報を頂いたので、下記に紹介する。

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 佐々木高信の三男、胤信の長男・長信は、永田氏を名乗り、次男の貞綱が市原氏の祖である。近江国蒲生郡市原邑大字市原野にあって市原氏を名乗る。
この貞綱の長男、市原四郎長信は、市原城主、地頭職である。

 16代の市原与兵衛尉忠綱、17代信定まで市原城主。信定の時、伊勢国二木二郎四郎が近江国打越葛木山に陣をとり市原城を攻め、城を奪う。同族の六角氏頼の来援が遅れ落城。

 信定の長男、長綱と次男、忠右衛門は、石山合戦に宗徒として参加、戦いに敗れ、河内の豪族茨田氏に寄寓。次男、忠右衛門は兄とともに参加後、茨田氏の口添にて河内国に隠れ住み農を業とした。
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 一方、蒲生郡史や滋賀県教育委員会は以下のような見解を示している。
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 玉緒郷市原野荘は古代文献にも散見されるに拘らずその具体的様相は中世文書にも見出せず、また大字共有文書1000余通にも城郭や城主に関連したものは現在では見当らない。
 また蒲生郡志の古蹟名勝の項には「……佐々木氏の臣、野村主勝、同十内左衛門、同主水等の住邸なり」と記しているがその根拠を示していない。

 従って郡史より2世紀半も古い淡海温古録の神崎郡の末葉、野村の項に「野村主膳正同主水正貞兼同十内左衛門屋形ノ近習物頭也、野村ハ三流アリ浅井ノ野村肥後守一流、粟本(栗太郡)ノ野村丹後守、同越中守、此ノ野村ト三流也、市原野村ハ孫流知レズ」とあることの当否を論ずる術もない。

 また市原野館の西方こ鎮座の白鳥神社には応永年間以降の年号刻印の鰐口や社記があり、中に鈴鹿下野守、信濃守、筑前守、周防守らの名が見られるが、これは城主ではなく、吉田ト部神道筋のものであるかも知れず、また野村源貞綱、倉垣義久、小倉実長の名も直ちに城主に当てる根拠もない。(滋賀県中世城郭分布調査)
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