近江磯野山城

【城郭の概要】

所在地:伊香郡高月町磯野
別 名 : −
築 城 : −
初城主:磯野丹波守
区 分 :山城
遺 構 :削平地,竪堀,堀切
面 積 :210m×75m

     標高 271m(磯野山)

永正14年(1517)
  
浅井亮政
     VS
   ●磯野丹波守員栓





磯野山の堅堀

・交通:県道44号線(木之本長浜線)松尾地区

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・駐車:
公民館前に1〜2台
・撮影:2000年8月
遺構の保存状態 ★★
遺構確認し易さ ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)




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【現地の状況】
 松尾地区の地元の人の紹介で、己高山(ここうざん)覚念寺横の公民館前に駐車し、公民館左手から登る。
地元の人に熊が出るなどと脅かされ、ビクビクしながら斜度40度ほどの急斜面を登ること約30分で山頂に出る。
山頂には、長さ30mほどの楕円形の削平地があり、ここが本丸と推定。

 北に走る尾根の斜面に4段ほどの削平地が続く。登るときには気がつかなかったが、急な斜面に竪堀が30mの距離をおいて2本掘られている。
下山してみると "急傾斜地崩壊危険区域"の立て札が建てられており、道理で急斜面のはずと納得。

 なお、磯野山城には堀や土塁などは無く、竪堀と堀切だけを防御施設としており、堀切,竪堀は全部で14条あるという。


【現地の状況】
 磯野山城は京極氏の家臣・磯野氏の居城で、江北で京極氏に替わって浅井氏が台頭した後は浅井氏の家臣となる。

 磯野員昌は浅井氏の家臣の中でも勇猛であったとされ、元亀元年6月姉川を挟んで浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が戦った姉川の戦いで、浅井・朝倉軍が小谷城へ向けて退却する際、磯野員昌は手勢五百を率い、敵中突破をして佐和山城に立て籠もっている。
 磯野員昌は、後に織田信長に降り高島郡新庄に封じられ、織田信澄の養父となっている。





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