彦根城
近江 彦根城
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 城郭の概要
所在地:彦根市金亀町
別 名 :金亀城
築 城 :慶長8年(1603)
初城主:井伊直勝
区 分 :平山城
遺 構 :天守閣,天秤櫓など,石垣,堀,竪堀
城 域 :1000m×700m
標高 標高163m

 現地への案内
交通機関
国道8号線古沢町の信号を西入る

JR彦根駅から徒歩10分

詳細位置はコチラ 

レンタサイクル
彦根 駅リンくん 
   500円/日(要身分証明書)
   TEL 0749-27-0761

 駐車場
二の丸駐車場を利用

【訪 城】1999年10月,2008年7月
【撮 影】1999年10月,2008年7月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


彦根城の見所
 知られていない彦根城の姿を私見を交えて紹介しています。
フォトライブラリー
    彦根城 フォトライブラリー

彦根城に最も近いホテル
彦根キャッスルホテル

彦根市佐和町1-8
TEL 0749-21-2001
シングル 6,500円 /室

 佐和山口から徒歩2分、窓からは多聞櫓、天守閣が一望できる。


野暮の耳寄り情報
駐車場情報
 彦根城近くの駐車場は二の丸駐車場(表門前)に50〜60台、表門と大手門の間、東高校前に20〜30台ありますが、桜のシーズンなどは駐車場が一杯。駐車場待ちの渋滞も発生します。

 このほかには、彦根城駅前にも900円/日の駐車場もあります。
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 ここからが、耳寄り情報!
佐和山口の多聞櫓まで5分程度で、しかも無料の駐車場があります。

 市の駐車場だったと思いますが、いつもガラガラ状態で、どこの駐車場が一杯でもここだけは止められると思います。
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観光
夢京橋キャッスルロード
夢京橋キャッスルロード
 彦根城京橋口にできた城下町を模した町並みで、近年観光地として賑わいを見せている。

天寧寺(五百羅漢)
 山門脇に井伊直弼の供養塔や直弼の参謀格だった長野主膳(ながのしゅぜん)の墓、たか女の碑などが寺院内にある。
井伊直弼の供養塔
●交通:JR琵琶湖線彦根駅から近江バス天寧寺口下車、徒歩3分
●駐車場:普通10台(無料
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湖東三山
 龍應山「西明寺」、松峰山「金剛輪寺」、釈迦山「百済寺」の三山からなり、紅葉の名所として知られている。
百済寺の石垣
百済寺の石垣

龍潭寺
滋賀県彦根市古沢町1104
TEL:0749-22-2777
入山料:大人400円

龍潭寺山門
 井伊氏の始祖、藤原共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺で、奈良時代行によって遠江国(静岡県)井伊谷に開基された、臨済宗妙心寺派の寺院です。井伊直政が佐和山城主になったのを機に、昊天(こうてん)が佐和山(232.5m)山麓に移築した。
井伊直弼や小堀遠州が茶の湯を楽しんだ飄々庵(ひょうひょうあん)の茶室は、佐和山城の城門を利用したと伝えられている。
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清凉寺
滋賀県彦根市古沢町1100
TEL:0749-22-2776
清涼寺山門
 井伊家の菩提寺として、また父井伊直政の墓所として直孝が開基した曹洞宗永平寺派の寺院で、本堂裏の高台には歴代藩主の宝篋印塔がある。なお、この寺は石田三成家臣・島左近の屋敷跡に建てられている。
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長松院
彦根市中央町4-29
長松院山門
 慶長7年(1602)2月1日42歳にして死去した井伊直政は、善利川(現在の芹川)の三角州にあった長松院で荼毘に付されたとされる。彦根城の築城と共に善利川の川筋が変えられ、長松院は三の丸内に位置していた。
 境内には井伊直政公の供養塔がある。

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国宝に指定されている天守閣
国宝に指定されている天守閣

 城郭の歴史
 慶長5年(1600)関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は、大阪城の豊臣方への備えとして、東海道の押さえに藤堂高虎を伊賀上野城に配し改修を命じ、山陰道には実子松平康重に命じて丹波に篠山城を築城させた。
 そして中山道の押さえとして、慶長6年1月上野国(群馬県)高崎12万石の井伊直政を石田三成の所領であった近江15万石と旧封上野3万石と共に佐和山城城主に封じた。

 佐和山城に入った井伊直政は、「三成に過ぎたるものがふたつあり、嶋の左近と佐和山の城」と謳われた佐和山城を廃し、佐和山の北にあり、元亀元年(1570)の姉川の戦い後に、佐和山城に楯籠もる磯野員昌に対して織田信長が設けた付城の一つである磯山に、新たに城を築こうとするが、直政は関ヶ原の戦いで負った傷がもとで慶長7年(1602)、42歳で急逝する。

 直政の嫡子直継が跡を継いだが、直継は13歳の幼少であったため、家臣達が直致の遺志を継ぎ磯山への築城を検討する中でその候補としてあがったのが、磯山と彦根山だったとされ、徳川家康に伺いをたて彦根山に築城することが決定された。
 家康は井伊家に築城を許したうえ、奉行3人(山城宮内少輔忠々,佐久間河内守政実,犬塚平右衛門)を差し向け、築城には本多忠勝をはじめ7カ国(伊賀,伊勢,尾張,美濃,飛騨,若狭,越前)、12の大名に助勢をさせる天下普請でおこなわれた。

 彦根城の築城は慶長9年(1604)7月に始まり、2年間の工事によって天守閣を含め内堀内が完成し、中郭,外郭が完成するのは元和元年(1615)2 月とされ、約11年かかって完成したとされている。一説には工事が完了するのは元和8年(1622)とする説もある。

 なお、築城に際し佐和山城の石垣なども石材として徹底的に利用したともいわれており、佐和山城では天守台の隅角石が2個発見された以外に、わずかばかりの石垣を残すのみである。



佐和山口の多聞櫓
佐和山口の多聞櫓
佐和山口の多聞櫓
 佐和山口多聞櫓は佐和山城からの移築とされ、西棟は重要文化財に指定されており、東棟は井伊直弼が桜田門外の変で倒れて百年目の昭和35年3月、総工費三千五百万円で復原されたものである。


天秤櫓
天秤櫓
天秤櫓
 天秤櫓は、慶長11年(1606年)駿府城から長浜城に4万石で移封された内藤信成が居城としていた頃(慶長11年から元和元年(1615)の廃城までの間)の櫓門を移築したものとされ、この櫓門は二重の櫓が天秤のように相対しているところから天秤櫓と呼ばれている。

 天秤櫓の瓦には井伊家の“井形紋”、“橘紋”の他に内藤家の定紋である “上がり藤紋” が観られ興味深い。

 天秤櫓の武者窓(縦に格子を入れた窓)の格子は角材の角を内外に向けた「菱格子」とし、鉄砲の振り角度を大きく取るような工夫が観られる。ちなみに縦に入れた格子の面を内外に向けたものを「竪格子」という。 こうした工夫が施しているため「石落とし」はない。

 天秤櫓下の石垣は廊下橋から東と西では積み方が異なる。東側は野面積み(牛蒡積み)で、築城当時越前衆が積んだとの伝承がある。西側は打ち込みハギで、落とし積みと云われる積み方がされ、嘉永7年(1854)の修理で積み替えられている。
詳細については、彦根城の石垣を参照ください。


太鼓櫓と続櫓
太鼓櫓と続櫓
太鼓櫓と続櫓
 本丸太鼓門と続櫓も、佐和山城か、長浜城の旧城門から移築されたものといわれている。


本丸天守
裏坂を見下ろす天守閣
裏坂を見下ろす天守閣
 三層三階の天守閣は本丸の北西隅に位置し、黒門口から本丸に至る “裏坂”を見下ろす位置にある。これは天守自体が防御の一翼を担っており、極めて実践的な城であるといえる。

 なお、昭和32年に実施された天守の解体修理の際に発見された墨書銘、および「井伊家年譜」の記述より、慶長11年に大津城天守からの移築だということが判明している。
 しかし、大津城の天守は四層五階で彦根城の天守は三層である。移築の際に四層を三層に構造変更されていることになるが、変更の理由は大津城が一度落城していること、および “四” という数字が嫌われたことによるのかもしれない。



西ノ丸三重櫓
西の丸三重櫓
西の丸三重櫓
 西の丸にある三重櫓は、小谷城の本丸を移築したものとの伝承があるが定かではない。


彦根藩の石高
 彦根城の天守は慶長11年(1606)に家康の命令で、京極高次の居城であった大津城の天守を移築したものと伝えられ、慶安3年(1650)には天守の付櫓(付属多聞)が増築された。
 この天守は井伊彦根藩35万石の格式からすると、石高の割には小振りだと云われるが、井伊家は築城当時18万石であったためである。

 なお、井伊家の旧領上野3万石は、慶長19年(1615)大坂冬の陣の後、直継に替わって直孝が井伊家を継ぐようになった時に、直継を上州安中城主として分与されている。
 その後、井伊家の石高は大阪冬の陣の功績により元和元年(1615)に5万石加増、同3年に5万石加増され、寛永10年には更に5万石を加増され30万石となった。この石高の他に幕府の御用米5万石を併せて彦根藩は35万石とされる。
彦根城内堀と多聞櫓
彦根城内堀と多聞櫓

 彦根城外堀は琵琶湖に繋がり、近江における安土城長浜城坂本城膳所城等の近世城郭と共通して、湖運を利用して荷物なども運び入れることが可能である。

 また、彦根藩は京都守護という非公式の家格があり、京都御所で異変があると早舟で坂本港まで3時間余りで琵琶湖を渡り、御所の守りにつくことになっていた。
彦根藩京都藩邸跡
彦根藩京都藩邸跡
彦根藩京都藩邸跡
 京都の中心部、木屋町三条から二筋南に下がった山崎橋の西側に彦根藩邸の碑がある。彦根藩藩邸がおかれたのは比較的新しく、19世紀の初めからだという。

住所:京都市中京区木屋町通大黒町
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藩邸跡の横を流れる高瀬川
彦根藩藩邸跡の横を流れる高瀬川

藩邸の北側と南側には、高瀬川の舟入があったという。




彦根城をもっと紹介

佐和山口といろは松
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天秤櫓
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彦根城表門横の堅堀と登り石垣
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佐和山口の多聞櫓
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佐和山口の枡形虎口
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天秤櫓の井桁紋と上がり藤の紋
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