近江 八町城
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 城郭の概要
所在地:犬上郡豊郷町八町
別 名 :赤田館
築 城 :永正年間(1504〜1521)
初城主:赤田隼大正源隆
区 分 :平城
遺 構 :土塁,空堀
城 域 :100m×200m

 現地への案内
交通機関
国道8号線高野瀬の信号を東入、約2km

詳細位置はコチラ 

 駐車場
常禅寺横の空地を利用

【訪 城】2002年4月
【撮 影】2002年4月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



常禅寺の土塁
常禅寺の土塁

 現地の状況
 常禅寺と隣接する白山神社に土塁が確認でき、この一帯が八町城の城域と考えられる。特に常禅寺の西〜北〜東には高さ2m程度の土塁が残っており、常禅寺と白山神社の間には堀跡も確認できる。
以前は寺の北側に水堀が残っていたというが、現在は埋め立てられ藪となっている。

 なお、常禅寺の境内にある墓地には、赤田信濃守高の墓がある。

 城郭の歴史
 八町城は赤田氏の居城で、赤田氏は嵯峨源氏・渡辺綱の子孫と伝えられる。
赤田氏は、もとは越後赤田荘の地頭であったが、近江国犬上郡久徳郷曽我に移り、応永年間(1393〜1427)に赤田信濃守高が曽我城を構えて本拠とした。

 その後、犬上郡では多賀氏が勢力を拡大し、赤田氏は永正年間(1504〜1521) 頃に河瀬庄八丁村に移り、八丁城(八町城)を居城とした。

 赤田氏は大永年間(1521〜1528)から享禄年間(1528〜1531)にかけて、京極氏に替わって江北を支配した浅井氏に属し、観音寺城を居城とする六角氏と戦い、元亀年間(1558〜1573)には姉川の合戦、および小谷城の戦いに参戦したが、織田・徳川軍に敗れ浅井氏と没落した。

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