近江 八講師城
HOME湖北地区
 城郭の概要
所在地:米原市梓河内
      (旧坂田郡山東町梓河内)
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :堀切,堅堀,土塁
城 域 :約300m×50m
      標高 345m
      比高 約240m

 現地への案内

国道8号線梓河内の信号を南入る、約100m地点を左折して稗谷林道を約4km
詳細位置はコチラ 

 駐車場
・駐車:林道脇に10台程度駐車可能

【訪 城】2001年9月,2008年4月
【撮 影】2008年4月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

二の曲輪から主曲輪をみる
二の曲輪から主曲輪をみる

 現地の状況
 八講師城は梓河内地区から稗谷林道を約4kmほども登った山間部に位置している。東西に延びる尾根上に曲輪を連ね、東に延びる支尾根上には比高差のある曲輪を階段状に配した典型的な連郭式の山城である。

 最高部の曲輪は荒々しい切り出しの土塁が曲輪面積の約半分を占めている上、削平は甘く、巨石が散乱している。最高部の曲輪から一段下がった曲輪(仮に一の曲輪とする)、およびもう一段下がった曲輪(二の曲輪)がきれいに削平されているのとは好対照である。
 おそらく最高部の曲輪は狼煙台として使われていたのではないかと思われ、一段下がった一の曲輪が主曲輪と考えるのが妥当であろう。

 最高部の曲輪背後の斜面には小さな堀切があるが、主曲輪、および支尾根曲輪の切岸高さは4〜8mほどにもおよび、その規模の違いから、堀切を防御施設として利用していた時代と、後年に改修された時の遺構が重なり合っているようである。

 八講師城が改修された時期を考える時、八講師城から東の関ヶ原方面を望むと、約3kmに長比城、その東には岐阜県の玉城松尾山城が一望でき、こうした位置関係からは、八講師城は元亀元年(1570)の姉川に戦いに際して長比城,刈安城(上平寺城)などと共に浅井・朝倉軍によって改修されたか、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに際して、西軍によって改修された可能性が考えられる。
主曲輪の東支尾根の切岸
主曲輪東支尾根の切岸

最高部曲輪背後の小振りな堀切
最高部曲輪背後の小振りな堀切

八講師城から遠望する近隣の諸城
八講師城から遠望する近隣の諸城

 城郭の歴史
 多賀豊後守高忠の拠りし所と伝わる。また、佐々木管領の頃、澤田民部大輔此所に居城せりとも伝わるが、詳細は不明。


八講師城をもっと紹介

主曲輪からみた二の曲輪
主曲輪からみた二の曲輪

主曲輪虎口
主曲輪虎口


HOME湖北地区

近江の城郭