近江 太尾山城
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 城郭の概要
所在地:米原市米原
別 名 : −
築 城 : −
初城主:佐々木氏
区 分 :山城
遺 構 :堀切,堅堀,横堀
城 域 :約300m×50m
      標高 250m
      比高 約130m

 現地への案内

国道8号線米原駅前を青岸寺、または湯谷神社へ
詳細位置はコチラ 

 駐車場
・駐車:青岸寺の駐車場に約15台、湯谷神社のに約6台

【訪 城】2001年5月,2008年3月
【撮 影】2008年3月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

北城の主曲輪と土塁
北城の主曲輪と土塁

 現地の状況
 太尾山城はJR米原駅の東にあって、太尾山の東側をとおる中山道を眼下におき、同時に中山道と北国街道の分岐点をも押さえる位置にある。
 また、中世に市場で栄えた箕浦市場(米原市箕浦)も近く、まさに要衝の地で、江北の京極氏・浅井氏と江南の六角氏との戦いの中で、佐和山城や東に位置する地頭山城、および北に位置する顔戸城(一ノ瀬城)と共に重要な役割を担ってきたと考えられる。

 太尾山城は南北に延びる太尾山の尾根上に南城と北城のふたつの城域をもつ一城別郭の城である。
この城がある時は南の敵に対して機能し、ある時には北の敵を監視するなど、時代の変遷とともに果たす役割を変えてきたことが、こうした一城別郭の縄張りにも窺える。

 太尾山城へは青岸寺、および湯谷神社付近のいずれからも登ることができる。青岸寺と湯谷神社は距離にして200mほどしか離れておらず、どちらから登っても時間的にはあまり変わりはない。
青岸寺からは尾根道を経て北城に至り、湯谷神社からは谷筋から登り、北城と南城のほぼ中間点にある堀切に出る。

 南城、北城ともに、幅15〜20mほどの尾根を利用して曲輪を連郭式に配し、土塁を巡らせているが、西側には土塁は認められない。西斜面は切り立った崖状地形のために防御の必要性がなかったのか。
 また、北城からは琵琶湖(西側)に展望が開け、天気良い日には素晴らしい景色を楽しむことができる。一方の南城からは雑木が茂り、眺望が利かないのが残念だ。

 北城の主曲輪北角には3m四方の三方を土塁で囲んだ一画がある、同様の地形が北之庄城(近江八幡市)にも観られ、烽火台と考えられる。


太尾山の縄張り
太尾山城の縄張り
 城郭の歴史
 明徳2年(1391年)の明徳の乱の時に米原平五が、応仁元年(1467)の応仁・文明の乱に米原平内四郎が在城したと伝わる。
 文明3年(1471)に岩脇駿河守近俊が戦死し、その子道秀が当城主となる。



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南城の曲輪と北城のピーク
南城の曲輪と北城のピーク


北城の横堀
北城の横堀


北城と南城間の堀切
北城と南城間の堀切


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