近江 堂木山砦
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 城郭の概要
所在地:伊香郡余呉町堂木
別 名 : −
築 城 :天正11年(1583)
初城主:大金籐八郎,山路正国
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀切
城 域 :150m×50m


 現地への案内

 国道365号線(北国街道)余呉町役場から西入る、余呉町火葬場へ
詳細位置はコチラ 

 駐車場
余呉町火葬場付近の空地を利用
【訪 城】2000年6月
【撮 影】2000年6月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


二の曲輪の切岸と横堀

 現地の状況
 堂木山砦は余呉にあって、賤ヶ岳から行市山へと連なる稜線から派生した尾根が、北国街道(国道365号線)付近まで張り出した舌状尾根上、比高150mほどの位置に築かれている。
 この砦は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いに際して、羽柴秀吉軍の木村隼人等が布陣した秀吉軍の最前線の砦であると共に、北国街道を押さえる重要な砦である。

 堂木山砦へは余呉町の火葬場の東、小川沿いある田んぼのあぜ道から山中に入る。林業関係の人によってかろうじて維持されている程度の山道である。
 とっかかりのない急斜面を登り切ると、背丈の低い笹原に出る。ここから砦までは傾斜の緩やかな尾根筋を辿るが、道は無くなり登り難いことこの上ない。
 登ること約20分、鬱蒼とした林の手前に堀切と土塁の壁が現れる。日中でも暗い林の中に遺構はまさに完存状態であるが、少々無気味である。(^^;

 砦は4つの曲輪で構成され、主曲輪を中心に尾根の北側に1つ、南に2つの曲輪を配置しているが、柴田軍の布陣する山並みと尾根で繋がる北の曲輪と主曲輪は、周囲に高い土塁を廻らせ堅固な守りとしている。
両曲輪とも東側(羽柴陣側)に平虎口を設け、二つの曲輪を食い違い虎口で接続している。

 通常、城砦の縄張りがされる際、曲輪には外部と繋がった2つの虎口が設けられるものであるが、ここ堂木山砦の中核をなす曲輪にはその虎口が1つしか設けられていない。
 こんな所にも堂木山砦が最前線に位置する危機感とともに、賤ヶ岳の戦いでは羽柴軍が守りに徹していたことが窺える。

佐久間盛政が布陣した行市山
佐久間盛政が布陣した行市山

 城郭の歴史
 天正11年2月28日(太陽暦では3月21日)、北庄城の柴田勝家は雪解けを待ちきれず、前田利長を先鋒として江北に向けて出陣させ、3月3日には佐久間盛政,前田利家を、3月9日には勝家自ら諸将率い、除雪をしながら北之庄を発進した。

 勝家軍が越前を発進するのに先んずること約2ヶ月、天正10年(1582)12月下旬、秀吉は美濃・岐阜城攻めの帰路に柳ケ瀬付近を巡視し、翌年1月には柴田勝豊の部下である大金籐八郎と山路正国に天神山に砦を築かせていた。

 北国街道を南下し、江北に着陣した柴田軍が行市山を中心とした山麓に展開して砦を築くと、羽柴軍の天神山砦は標高も低く、羽柴軍の他の砦からも突出した形となり、秀吉は天神山砦を捨て木村隼人等に堂木山砦、蜂須賀正勝に神明山砦を築かせて防御ラインとした。




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