敏満寺城
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 城郭の概要
所在地:犬上郡甲良町尼子
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :井戸,石垣,土塁
城 域 : −

戦 い :
  文明18年(1486)
   ○京極政高 VS ●京極高清

  永禄年間(1558〜1569)
   ○浅井長政 VS ●神官新開某



 現地への案内

 国道307号線、名神高速多賀サービスエリア上りサービスエリア内
詳細位置はコチラ 

 駐車場
胡宮神社に駐車約20台

【訪 城】2003年11月
【撮 影】2003年11月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

多賀サービスエリア内の土塁
多賀サービスエリア内の土塁

 現地の状況
 敏満寺城は青龍山(敏満寺山)の西麓に位置し、胡宮神社を中心とした敏満寺との関係が注目されているが、敏満寺城と敏満寺の関係は不明。
 敏満寺の寺域は現在の大字敏満寺とされており、一方敏満寺城は名神高速道路多賀サービスエリア上り線の一画とされ、寺域と城域とは一致しない。

 従来、寺院が城塞化していったものとして、近江には湖東三山の西明寺,百済寺などがあるが、この敏満寺城は敏満寺とは独立した城であった可能性もある。

 城郭遺構としては、土塁や枡形虎口などが状態良く残されており、虎口形態から近江における元亀争乱の時に改修されたことが考えられる。
多賀サービスエリア内の土塁
多賀サービスエリア内の土塁


発掘当時の状況
発掘当時の状況

 城郭の歴史
 敏満寺は天台宗の寺院ということで興りは1,200年前にさかのぼる。中世に入り湖東一大寺院となった敏満寺は、その勢力故に近江を支配していた佐々木六角氏や佐々木京極氏と対立することになり、寺院も城塞化していったとされている。

 永禄3年(1560)浅井長政は久徳城を攻め、久徳氏を亡ぼした後、永禄5年(1562)に久徳氏に味方したた敏満寺を攻め、学頭以下800人が戦死し、120余りあったといわれる坊舎のほとんどは焼失した。
 翌年一部再建されるが、元亀3年(1573)には織田信長の寺領召し上げに抵抗したため、残りの坊舎をことごとく焼かれ廃寺となる。

 慶長年間には(17世紀初頭)には、彦根城築城のため残った礎石を運び去られたといわれている。
現地案内板を編集


敏満寺遺跡石仏谷の現地説明会概要

シンポジウム 中世城郭敏満寺の謎

シンポジウム参加報告



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