近江 尼子城
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 城郭の概要
所在地:犬上郡甲良町尼子
別 名 : −
築 城 : −
初城主:尼子高久
区 分 :山城
遺 構 :堀,石垣
城 域 : −


 現地への案内

 国道8号線・野口信号東入る
詳細位置はコチラ 
  多分、この辺り(^^:
 駐車場
【訪 城】1999年5月
【撮 影】1999年5月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

小さな池が尼子城の堀の名残
小さな池が堀の名残をとどめる

 現地の状況
 現在では尼子の町中に、尼子城の堀跡と云われる小さな池の前に立て札に堀の説明文が書かれている。それ以外には遺構は残っていない。

 付近にお住まいの人によると、20〜30年前に引っ越してきたときは、数メートルの深さの堀があり、それを埋め立てて住宅地にしたとのこと。
 今でも、住宅地の中には堀を埋め立てた部分は50〜60cmほども低くなっている。

 なお、尼子城に関連すると考えられる土塁があった所が、尼子土塁公園として、また、藤堂高虎の出生の地とされる在士館跡が高虎公園として整備されている。

 城郭の歴史
 尼子氏は佐々木京極氏の系流であり、先祖は京極五代高氏(道誉)の嫡子高秀の四男・高久が、犬上郡尼子を本拠として尼子を姓とした。

 高秀には8人の男子があった。長男は高詮(たかのり)と称して京極家七代目を継いだ。
 二男高経は佐々木宗家六角氏頼の養子となつたが、のち離籍された。三男は五郎秀満と名乗り左衛門尉に任じられたが、応永6年(1399)大内義弘の反乱にくみし、消息不明となつている。

 四男・高久は左衛門尉に任じられ、犬上郡尼子を本拠として尼子を姓とした。これがそもそも尼子氏の元祖である。
 その高久の長男詮久が家を継いで、江州尼子の氏祖となり、高久の二男持久は山陰の出雲国に移つて雲州尼子氏の元祖となった。


京極氏の菩提寺徳源院




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